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栗山町は、石炭生産が盛んであった夕張市の隣に位置しており、1920年代から1950年代にかけて、北炭角田炭鉱が操業されていましたそれに伴い、1926年には新夕張から栗山を結ぶ夕張鉄道が敷設、1934年には、新二岐~角田炭鉱を結ぶ角田炭鉱専用鉄道が開通するなど、炭鉱とともに交通が発達していきました新二岐駅で集合し、車を旧日の出小学校前に移動し、ぷらぷらスタート旧日の出小学校前のこの道は、専用線の線路跡です!ワンマン電車が学校の目の前で止まり、小学生が通学に使用していたのだそう。線路跡を歩いて、道道3号線に戻り、夕張方向に歩いていくと・・・旧日の出小学校の校門が現れます日の出小学校は、かつて角田炭鉱周辺地域の子どもたちが通った小学校です。1953年に角田炭鉱が閉山したことにより、児童数が激減し、1981年に閉校となりました。このあたりは、グラウンドなのだそう。よく見ると、奥の方に、ブランコ跡や鉄棒などの遊具がありました
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夕張の帰り際、栗山炭鉱へ寄ってきました。ここは現在、露天掘りのみと聞いておりましたがやはり大きな遺構は、残っていませんでした。ただ、炭鉱地特有の段々になっている地形つまり、建物が建っていたような形跡はありました。高い所から見て旧道側に多分、浄水場か電気室みたいな建物が確認できたので、旧炭抗はさらに奥にあったと思われる。草が邪魔なのと、夕方で日も暮れてきたので次回、晩秋もしくは来春の課題にしておこうもう晩秋の探索スケジュールもいっぱいとなってきて日にちが足りないくらい。写真は一番奥の作業場と、貯炭場