八十里越 関連ブログ・参考リンク
http://road.uroneko.com/nr289tozan_01.htm
南東北の深い山間を横断するが、新潟・福島県境の八十里越が未開通となっている。 廃道となるR289甲子道路. ■撤去された標識. 平成20年(2008年)9月21日、甲子峠 の分断区間を解消する目的で建設が進められてきたR289甲子道路が開通。甲子峠
http://yamayama.web.infoseek.co.jp/2003/hatijuuri.htm
八十里峠(木ノ根茶屋跡)県境 13:45 松ヶ崎 14:25 八十里越入口( 前日の土曜日に 大雲沢ヒュッテに宿泊し、翌日新潟県下田村の吉ヶ平から福島県入叶津に至る八十里 越に挑戦した。 . 何時までも廃道になる事無く残り続けてくれる事を願うばかりだ。 八
http://www.asahi-net.or.jp/~VD8A-MKM/guide/hachi/mugura.htm
当然この路は幕末当時にはない。下田村の葎谷に直接抜ける山道を通ったのだが、 現在その道は廃道になっている。この峠は「水の木峠」というそうです。 八十里越街道 本道に出て吉ヶ平に向かう。道は途中から舗装が切れるが、緩やかな上りで走りやすい 。
http://yamamichi.moo.jp/yam/hachirikoe.htm
八十里越(吉ヶ平404m~鞍掛峠965m~大麻平505m) 沢の渡渉, ぬかるみの山道, 八十里越入口(入叶津) . 今はだいぶ廃道化しているがあれだけの沢、へつり道を馬も 人も行き来したとは、驚くばかりである。 今回は残雪も少なくルートの不明朗な所は
http://ftk-ac.net/01_hik/2010_hik/4412_hatijyuri/4412_hatijyuri.html
2010年7月31日 そんな折り只見町で「希望と歴史の道八十里越を歩く会」主催の歩きが昨年復活した ので早速申し込んだ。 最初は6月の第2 今歩いているのが新道で峠から古道、中道 があったらしいが今は廃道化しているとのことである。峠では写真撮影
http://homepage3.nifty.com/ClassicBicycles/tour/20101121_22.html
2010年11月21日 途中に難所があり実際の距離の10倍に感じられることから八十里となった説と、坂東里 の八十里がそのまま峠名になったとの説がある。 戊辰戦争の 道路は明治期に6年の 歳月をかけて幅4mに大改修されたが、現在は廃道と化している。
http://kunisada.seesaa.net/article/277778686.html
2012年6月28日 0628八十里3.JPG “八十里 腰抜け武士の 越す峠” 拙ブログでも、たびたび登場する 幕末の長岡藩家老、河井継之助公 そんな想いから、昨日、福島県只見町さんを始め とする多くの関係機関とともに、“八十里越道路暫定的活用検討懇談会”
http://tokuyoh.sakura.ne.jp/photo10-hachijuri/80ri.html
この地域には八十里越と六十里越という越後と会津を結ぶ二つの街道があるが、実際 の距離はその十分の一ぐらいで、十倍ほど長く感じられること 八十里越は戊辰戦争 の時、長岡藩の河井継之助が負傷してこの道を通って会津へ逃れたので有名である。
http://ameblo.jp/hi-road/entry-11716436518.html
2013年12月6日 国道289号線 福島県側 八十里越峠2-やっとの思いで?偶然に? 国道として指定されたのは昭和45年のことらしいのですが、すでにそのころには鉄道の利用者のほうが多く、沿道の集落の離村などもあり、国道は廃道同然だったそうです。
http://ameblo.jp/fineroad-k/entry-12281330832.html
した。 継之助は会津で再起をはかるため、千数百名と共に八十里越を会津に向かいました。山越えは困難を極め「八傷を負いながら通ったといわれる古道は、すでに廃道となっており、明治28年に開いたといわれる新道を目指しました