三池鉄道 関連ブログ・参考リンク
http://homepage1.nifty.com/pyoco3/kyusyu/miike/miike.htm
炭坑節で有名な九州の三池炭坑。 専用鉄道に戻ったあと三池港~万田間、三池港~平井間に従業員用の旅客列車が運行されていたことは確かだが、 地方鉄道時代すべての線に旅客列車が と交差(C参照)、更に掘割りとなった路盤は宮原廃坑跡(D参照)をかすめて進み、今も橋梁を残す諏訪川(E参照)と万田廃抗との間にあったのが万田。
http://www.hotetu.net/haisen/Kyushu/101229mieketetudou2.html
2011年1月12日 三池鉄道(みいけてつどう)は、かつて福岡県大牟田市及び熊本県荒尾市で運行されていた専用鉄道(一時期地方鉄道)の通称である。三井三池炭鉱から採掘された石炭を輸送するために敷設され、保有者は三井鉱山から三井三池港務所、ツ黴
http://air.ap.teacup.com/railroad/696.html
2013年11月5日 大牟田荒尾近代化遺産の旅(2)三池鉄道廃線跡ウオーキング」 鉄道・列車. ホテルから大牟田駅に向かう。少し早かったが、タクシーで出かけた。これは正解だった。大牟田駅に着くと一般公開の会場行きのシャトルバスに乗る人たちの行列がツ黴
http://allxa.web.fc2.com/archi/rail/senyo/miike-tamana.html
2013年9月8日 玉名線は、三池鉄道本線の原万田駅から分岐して平井駅まで延びていた全長4.2kmの路線(電化単線)である。駅は起点 LinkIcon 九州ヘリテージ > 雑記帳 > 三井三池鉄道 玉名線 01・02 ご一緒に廃線跡を歩いたゴン太さんのレポート
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/miike/miike1.html
採掘された石炭と、従業員及び家族を輸送していた鉄道は三池鉄道と呼ばれていたそうです。 私が私鉄に興味を持ちだして、 石炭車(セラ)の下側に排出口があり、線路の間の穴に落とし、下に積み上げていくようになっていました。 貨車の長さと高架橋の橋脚ツ黴
https://www.localline.jpn.com/08kyusyu/mituimiike/miike.html
三池鉄道大牟田の三井三池炭鉱の専用鉄道として、大牟田市と荒尾市内に合計18.6kmの路線がありました。 専用鉄道ですが、通勤輸送を行っており、地方鉄道として運行されていた時期があります。1891年に三井合名鉱山部の専用鉄道として開業。1909年に三井鉱山専用鉄道。 1964年には地方鉄道となり、三井鉱山三池鉄道として営業開始。1965年に運営会社が三井三池港務所に変更。 1973年に三井石炭鉱業の専用鉄道となりましたが、通勤列車の運行は続きました。 1984年に通勤列車の運行終了。 1997年に三池炭鉱閉山。本線が廃止されます。旭町線1.8kmのみが三井化学専用鉄道として残ましたが、2020年に廃止。まだ通勤列車が運行されていた、1975年の訪問です。写真をクリックすると全画面表示されます。再度クリックで戻ります。ブラウザによっては拡大されない場合があります。1号機1975年2月28日撮影 三池港 1号機1911年シーメンス製。4両輸入されました。シーメンス製の機関車は日本では少なく、国鉄ED57→ED24と上信電鉄デキ1形があるくらいです。大牟田市内で保存。1975年2月28日撮影 三池港1号機+ホハ202+ホハ2041975年2月28日撮影 三池港1号機フロントビュー1975年2月28日撮影 三池港 1号機サイドビュー1975年2月28日撮影 三池港31号機+コハ104+ホハ30331号機は、1923年三池製作所製。旅客列車廃止まで使用され、廃車。1975年2月28日撮影 三池港31号機+コハ104+ホハ3031975年2月28日撮影 三池港 31号機サイドビュー1975年2月28日撮影 三池港三池港駅1975年2月28日撮影 ホハ200形ホハ2021950年日本車輌製の自社発注車。国鉄モハ63形の車体そのものですが、払い下げではありません。1980年代まで63形の原型を留める、貴重な存在でした。ホハ200形は201~205の5両ありました。1975年2月28日撮影 三池港ホハ200形ホハ2031975年2月28日撮影 三池港 ホハ200形ホハ2041975年2月28日撮影 三池港ホハ100形ホハ1041948年東芝製の電車形客車。木造車の台枠を利用しているため、トラス棒が残っています。旅客輸送の廃止まで使用されていました。1975年2月28日撮影 三池港 31号機の牽く列車1975年2月28日撮影 原万田 1975年2月28日撮影 原万田1号機の牽く列車1975年2月28日撮影 原万田2014年12月14日up2022年2月15日更新レイアウト変更
http://pyoco3.c.ooco.jp/kyusyu/miike/miike.html
三井石炭鉱業三池専用鉄道を訪ねて廃止鉄道ノート九州・沖縄 減速進行 地区:福岡県大牟田市 軌間:1067mm/一部複線 動力:蒸気→電気区間:三池浜~三池港(9.3km)/宮浦~東谷(3.3km)/原万田~平井(4.1km)/その他支線月が出た出た♪の炭坑節で有名な三池炭砿。近年は「世界遺産で有名な」の金文字も加わった。2015年に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部を構成するためだ。遺産群の中には三池炭鉱専用鉄道敷跡も含まれ、こちらも世界が認めた廃線跡となった。その歴史は古く、明治中期に石炭輸送のため敷設された馬車鉄道が始まりとなる。これはすぐ蒸気動力の専用鉄道に変えられ、やがて旅客営業も開始された。しかし石炭産業の衰退とともに再び貨物専業に戻り、徐々にその距離を縮めた後、炭砿の閉山と同時に使命を終えている。略史明治24(1891) - 三井合名三池専用鉄道 開業44(1911) -11/ 三井鉱山が独立、同社三池専用鉄道となる昭和 〃 三池専用鉄道、三井化学玉名専用鉄道を統合39(1964) -8/11 〃 〃 地方鉄道に変更、三池鉄道となる40(1965) -3/11 三井三池港務所が独立、同社三池鉄道となる48(1973) -8/1 専用鉄道に再変更8/27 三井石炭鉱業に改組、同社三池専用鉄道となる平成9(1997) -4/1 〃 三池専用鉄道廃止、旭町線を三井東圧化学に譲渡路線図1968年2012年廃線跡現況(一部に廃止直前の写真を使用)-本線-A北の起点三池浜(写真A)は化学工場の駐車場などに変わり、駅跡の面影はない。ただし、南端をかすめる道路から今も当時のレールが顔を出し、場所特定の手助けをしてくれる。最盛期には駅を起点に、西あるいは北へと支線が多数延びていた。97年1月南東方向へ向う本線は市街地を築堤で抜けていたため、道路や鹿児島本線とはすべて立体交差し、その橋梁跡(写真B・C・E・F・G・H・I・J・K)も大半が残されて...を抜けたのち左に曲がり、その北縁を西に進んでいた。多数の枝線を抱えていたが、メインルート(写真AW)は二車線の市道拡幅に利用され、終点付近は近年流行の太陽光パネルに占拠されている。AW97年1月AX三池浜から直接西に向かう線は、工場脇に路盤(写真AX)が残され、突き当たった運送会社の先まで線路が続いていた。19年4月四ッ山からの四山港支線は、本線からの分岐付近に線路跡(写真AY)をわずかに見て取れるのみで、それ以外の確実な痕跡は見つけられない。終点附近にはやはり太陽光パネルが広がり、旧四ッ山抗も既に炭砿の面影はない。AY19年4月AZ同じく四ッ山から北西に向かう側線では、左カーブ直後の小橋梁(写真AZ)を見つけることができる。かなり錆付いているものの、プレートガーダーも健在だ。19年4月その後は発電所の外壁に沿った空き地(写真BA)として続くが、やがて企業敷地内に入り込み、跡地をたどることは不可能となる。BA19年4月BB三池港からも各方面に枝線が延びていた。その中の一つ、北へ延びる線に以前は廃車体(写真BB)が放置されていた。既に撤去されているが、企業敷地内のため立ち入りできず、雑草の密集する空き地越しに眺めるしか手立てがない。97年1月側線の多くは貯炭場へつながり(写真BC)、石炭粉末のせいなのか、沿線では今も雨上がりの水たまりは若干黒く見える。また本線と線路はつながっていないが、北側を流れる諏訪川に三川抗内線(写真BD)の橋梁跡(写真BE)を見つけることができる。当時の雰囲気を十分に残し、長く残ってほしいと願うばかりだ。BC97年1月BDBE97年1月03年1月参考資料産業考古学第101号/三井三池炭鉱の産業考古学-三池専用鉄道-/辻直孝 著鉄道ピクトリアル通巻434号/三井三池の炭鉱鉄道を訪ねて/吉富実 著参考地形図1/50000 大牟田[T15二修/S6鉄補/S34部修] 荒尾[S26応修]1/25000 大牟田[S45測量] 荒尾[S45測量]ご記帳処お断り・連絡先 ↑ページtop最終更新2020-9/25 転載禁止 Copyright (C) 2003 pyoco3 All Rights Reserved.