真室川森林軌道は、山形県最上郡真室川町にあった森林鉄道。 1934(昭和9)年に釜淵貯木場から三滝、小...

真室川森林鉄道

真室川森林鉄道 概要・歴史

真室川森林軌道は、山形県最上郡真室川町にあった森林鉄道。 1934(昭和9)年に釜淵貯木場から三滝、小...

真室川森林鉄道 画像

真室川森林鉄道概要図
©国土地理院

近くのスポット

真室川森林鉄道 関連ブログ・参考リンク

http://yamaiga.com/rail/mamurogawa/main.html
2003年12月31日 小又線 (2級) 延長12.4km 昭和6年~39年 大沢川線 (2級) 延長8.9km 昭和18年~ 40年 この道は、秋田青森県境の「青秋林道」と並び、林野行政の無駄としてしばしば 話題に上ったこともある「大規模林道真室川小国線」の一部である。
http://yamaiga.com/tunnel/mamurogawa2/main3.html
2006年9月2日 参考レポ:廃線レポ「真室川森林鉄道(安楽城線)」・「一号隧道」). 真室川
http://www42.tok2.com/home/ht990/mamusya.htm
昭和13年以降、釜淵駅から高坂ダムまで、延べ28kmに亘って伸びていた真室川森林 鉄道。 軌道自体は 森林鉄道そのものの乗車感を味わえる」と言って差し支えないだ ろう。 普通なら廃線後間もなく廃棄されてしまう車両を動態のまま現在まで保存した
http://mktabi.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-a88a.html
2008年11月25日 2007年9月、山形県の真室川にある真室川森林鉄道に乗りに来た。奥羽本線の釜淵駅 からはかつて全長28kmの森林鉄道が延びていたが、トラック輸送の進展で昭和37年 廃止されてしまった。しかし、その後真室川町の温泉保養施設「梅里
http://www3.omn.ne.jp/~nishiki/sinrin.htm
真室川森林鉄道. 真室川の森林鉄道は釜淵駅から出発し、現在の高坂ダム方面.(写真:真室川の森林鉄道は釜淵駅から出発し、現在の高坂ダム方面に走っていた。) 森林鉄道の説明板。 体験交流の森を走るトロッコ列車。(写真左:森林鉄道の説明板。
https://yamaiga.com/rail/oosawagawa/main.html
廃線レポート 真室川森林鉄道 高坂ダム周辺区間 第1回公開日 2015.12.12探索日 2013.06.09所在地 山形県真室川町トップ>廃線レポ>1/「山形県公式サイト>近代化産業遺産>真室川森林鉄道」より転載。右の写真は、山形県公式サイトにある近代化産業遺産を紹介するコーナーのうち、「真室川森林鉄道」のページに掲載されているものである。掲載されている本文によると、この写真は「真室川町立歴史民族資料館に保管されているもので、写真は「鉄道友の会秋田支部」からの提供」だという。私は、このサイトではじめて写真を目にしたのだが…あの真室川森林鉄道に、これほどショッキングでアグレッシブなシーンがあったのかと驚いた!当サイトの古い読者さんであれば、私が以前にも真室川森林鉄道を何度か探索しているのをご存知かもしれない。これまでに掲載したレポートとしては、以下の4本がある。公開順初回公開日探索日レポートタイトル&初回リンクレポ①2003/12/312003/11/30廃線レポ 真室川森林軌道レポ②2004/2/152003/11/30隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 二号隧道レポ③2004/4/192003/11/30隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 一号隧道レポ④2006/9/22006/5/21隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 二号隧道 再訪編このほか、レポート化していない探索も多少あるが、基本的に真室川林鉄に対する私の印象は、東北の他の多くの森林鉄道と同じく、比較的穏やかな地形を舞台に活躍した路線である。だが、この写真のシーンを知っていたならば、印象は少し変わっていたはずだ。こんな場面が真室川林鉄にあったのか。これはどこなのか。果たして今も遺構はあるだろうか。この規模である。道路になったり、ダムに沈んだりしていなければ、十分に残っているはずだが…。ならば、こんな凄まじい絶壁の風景と共に、まだ見ぬ隧道が2本も存在することになるのである!私が最後に真室川林鉄の探索をしたのは2006年であり、だいぶ時間は空いてしまったが、再訪する必要があると...た。わざわざ林鉄を通すために川の流れを切り替えたわけではなく、この河流の変化は大昔に生じた自然現象と思われるが、築堤の存在は旧河道の水捌けを著しく阻害していて、そこにカエルの大産地となった河跡湖たる大きな沼地が出現していたのである。(←)築堤は完全に旧河道を閉塞していたわけではなく、幅2mほどの切れ目があった。切れ目の底には深い澱みが湛えられていたが、ここを横断する杉丸太を渡しただけの簡易な人道橋が残っていた。周囲の藪は非常に深く、刈払いも全くされていなかったが、杉丸太橋の状況から見て、10年以内には人の出入りがあったようだ。周辺には杉の植林地も見受けられるので、おそらくは林業関係者であろうか。ありがたくこの橋を使わせて貰ったが、周りの藪が尋常でないので、踏み外しそうで怖かった。なお、林鉄当時の橋は橋台さえ見あたらなかった。もしかしたら、当時は暗渠であったものが、決潰して切れ目になったのかも知れない。(→)築堤上から眺める河跡湖の水面。カーブした旧河谷に従って三日月形をしている。国道からは鮭川を挟んだだけの至近距離であるが、地図には池の名前も記されておらず、ひっそりと静まりかえった水面に、何か子供じみた興奮を覚えた。(←)旧河道を渡りきると、新旧の河道に囲まれた小山が左手に現れた。路盤は旧河道右岸の氾濫原に低い築堤を設けている。杉の植林などで日陰になっている場所では、地面はシダ植物が優勢で、比較的に見通しも良く歩きやすいのだが…(→)日陰から出ると忽ちに夏草の激藪が行く手を阻んだ。私は切り込み隊長となって、奇声を発しながら先頭を開削した。それでも一行のは余丈の藪に覆い隠されることがしばしばであった。そんな苦闘に予期せぬ出会いが…。うほっ! 良い尻だ。 nice hip.あ-、なんか癒やされるわー。次回へ続く! 第2回へお読みいただきありがとうございます。当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口このレポートの最終回ないし最新回の「この位置」に、レポートへの採点とコメント入力が出来る欄を用意しています。あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。【トップページに戻る】
https://yamaiga.com/tunnel/mamurogawa2.html
真室川林鉄 安楽城あらき線 二号隧道 前編詳細不明の廃隧道山形県 真室川町下小又 このレポートは、「道路レポート」として紹介した「真室川林鉄 最終回」の続きとなる物だ。だが、本レポートのタイトルについてなど、いくつか説明しないと分かりにくいだだろう。前回のレポート執筆後、自身の探索した軌道が何という路線だったのかという根本的な部分を含め、いくつかの見直しがあった。今後紹介できるだろう「真室川林鉄 小又線」と、前回紹介した「真室川林道 (安楽城線)」とを結ぶ、重要な「見直し」である。ただ隧道の姿が見たいんじゃ! という方には申し訳ないが、少しおつきあい願いたい。まずは、右の地図をご覧いただきたい。なお図上にカーソルを合わせると、拡大する。また、未解明の区間もあり、実際には一部経路が異なる可能性もある。描いた軌道は二本あるが、当初『JTBキャンブックス刊 全国森林鉄道』の巻末資料や、真室川歴史民族資料館に展示されている地図などより、わたしは図中の赤線で描かれている軌道のみしか知らなかった。しかし、現地調査で感じた矛盾を頼りに、より詳細な机上・実地調査を行った結果、青線で描かれた路線の存在を、確認したのである。『全国森林鉄道』巻末の「真室川林鉄 小又線」とは、図中の青線の軌道と思われ、すなわち前「道路レポート」の認識は誤りであった。わたしが必死で探した「三号隧道」は、「真室川林鉄 安楽城線」という、詳細は後ほど記すが、小又線よりも以前に利用されていた路線上の隧道だったのだ。つまりは、『山形の廃道』サイトに紹介されている“もっとも釜淵側の隧道(当サイトでは「一号隧道」と表記)”やその前後の区間と、私が前回紹介し、そして今回紹介する軌道跡とは、別の路線だったとも言える。表現の正確を期せば、同一路線上でも早い時期に廃止された部分を、私は探索していたのだ。この安楽城線については、『秋田営林局刊 八十年の回顧』に、簡単にだが示されている。ここまでの情報をまとめると、以下のようになる。路線名竣工廃止全長幅員区間左記データーの原典備考安楽城林道S1430.081m2,0m釜淵-安楽城八十年の回顧...ば、もし見当違いだった場合は取り返しが付かないタイムロスになると感じたが、見逃す訳にもいかず、チャリを路傍に停め、単身笹藪へ突き進んだ。これより、二号隧道の調査を開始する。現在時刻15時34分。 深い藪に苦労しながらも、チャリがないので強引に突き進む。やはり、谷底に降りてみると、そこには微かだが平坦な場所が続いている。軌道跡なのか、ただの廃道なのか。まだ、分からない。地図上で予想される隧道坑口までの距離は僅かであるが、徒歩の場合、その僅かな距離に狂いがあった場合でも、要する時間は大きく変わってしまう。予想が外れないことを祈るばかりだ。 杉の森の中に入ると、日陰のため下草は大人しくなったが、代わりに現れた粗大ゴミの数々。たしかに、ここは県道の直下だが「こんな山奥に…」と思った。でも、考えてみると、ここは新庄都市圏にすむ人たちにとっては、山奥というよりは、近郊の山域なのかもしれない。遠く150kmも離れた地に住む私にとっては、世界の果てか秘境の山のように感じられるが。いよいよ日の光も力を失いつつあり、心細くなってきた。 うおう! 激しい手ぶれ!!ごめんなさい。時間がないので小走りで、探索したんです。ごめんなさい。 車道から分け入って歩くこと約7分。距離にして、僅か200mほどで、早くも「怪しい」雰囲気になってきた。正面には、一部岩盤が露出した急な斜面がそそり立ち、これ以上進むことは出来なそう。右手は急斜面、左手は沢の向こうにやはり斜面。あそこに隧道がなければ、探索は振り出しに戻ってしまいそうだ。頼む、あってくれ! 辺りは杉の比較的若い植林地。殆ど手入れされていないのか、下枝も育ち放題枯れ放題。散乱した枯れ枝達が、ただですら歩きにくい軌道跡をさらに困難な物にしている。怪しい岩盤が近づいてきたが、まだ坑口は発見できない。どう見ても、ここ以外には無さそうなのだが…。まさか、また埋没なのか。 湿った崖の一角に、僅かに開いた地底の門を発見。見つけちゃいました。うふふ。嬉しい。一体、内部はどんな様子なのだろうか?期待と不安の内部探索編は、次回!どう見ても、内部もまともそうではない。そん思ったあなた、スルドイ!後編へ2004.2.15
https://yamaiga.com/tunnel/mamurogawa/main.html
真室川林鉄 (安楽城線・小又線共通) 一号隧道 二重坑門のなぞ山形県真室川町 釜渕 今回の探索は、時系列的には「道路レポ 真室川森林鉄道」→「隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 2号隧道」→「本レポ」 という順序になっている。過去の二本のレポをご覧頂ければお分かりの通り、探索は困難を極め、すでに日が落ちている。輪行して秋田へと帰る直前、もう一本だけ頑張ったのが、この「一号隧道」である。この攻略に成功すれば、安楽城線の三本の隧道を確認したことになるのだ。長い一日の戦いの、最終幕をご覧頂こう。  まずは周辺地図から、今回の探索対象の位置を確認しておこう。図中の赤と青の線が真室川林鉄であり、それぞれ安楽城線と小又線である。この二線については、同時に存在していたものなのかどうかは、はっきりしていない。ただ、安楽城線は非常に危うい路線だったという印象がある。一方、小又線については、それなりの保守が行われていたのではないかという印象だ。今回は、図の三滝分岐とJR釜淵駅との間にあった隧道をねらい打つ。なんせ、既に日が落ちているもので、隧道以外をチェックしている余裕など無かった。なお、この隧道については、既に『山形の廃道』さんによる詳細なレポがあり、私もこれを事前に拝読していたので、埋められているという三滝側の坑門の捜索は行わず、釜淵側のみ探索したことを予めお断りしておく。  16時12分、2号隧道からチャリをとばし、20分足らずでJR奥羽本線釜淵駅へとたどり着いた。あとは、この駅から秋田行きの列車に乗れば、今日の旅は終わることが出来る。辛い旅だったので、ほっと一息といったところだ。だが、もう一がんばりしよう。すぐ近くに、隧道が眠っているはずなのだ。 目指す隧道は釜淵駅から1kmほど北西の山中へと林道を進んだ先にある。林道自体は軌道に沿って敷設されていた、もしくは軌道を廃止した後に建設されたのかも知れないが、丁度軌道敷きを左に見ながら、緩やかに杉林の中を登っていく砂利道だ。軌道敷きの大半が林道の横に残っていたのは意外だった。 そして、事前に情報を得ていたとおり、「森林理水試験地」の標柱が...染みが全面に広がり、一種異様な模様を描いている。この一滴一滴が、いずれは隧道を崩壊せしめるのだ。 まっすぐの洞内は、閉塞点まで思っていたよりも長い。まるでレールのように穿たれた二条の轍が、隧道の使命と、それがもはや過去のものであるという無念さを、より鮮明に浮き立たせる。冥界に続く隧道なるものがこの世にあるなら、この景色は、それっぽいかも。行き止まりを求める私の気持ちが、いつしか深い靄の中にあった。 深い靄がかかり、フラッシュを焚くと洞内は一瞬ホワイトアウトする。ひんやりとした空気に、微かなかび臭さを感じた。 入り口から約80m、閉塞点だ。ここはもう、元来は出口だった場所だと思われている。三滝側の坑口跡も後日発見しているが、そこは埋め立てられ痕跡も無かった。しかし、この閉塞の様子を見ると、内壁には損傷が無く、反対側から無理矢理土砂を詰め込んだようにしか見えない。この壁さえ取り除ければ再貫通も可能なはずだが、冗談の筈の冥界が広がっていたら、どうしようか。こうして、真室川林鉄安楽城線の三本の隧道は、いずれも閉塞という結末を迎えるのであった。そして、一号と三号についてはいずれも、人工的に埋められた形跡がある。二号については、いまだ一方の坑門を発見していないが、埋められているのかも知れない。真室川町…林鉄には冷たい町である…。(というのは間違いで、真室川町では2003年になって林鉄を観光用に新規開設したのだ!スゲー!) 外に戻ると、澄明な月があたりをぼうっと照らしていた。生還。完2004.4.19当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口今回のレポートはいかがでしたか? 10点満点で採点してください。←つまらなかった。   普通かな。   おもしろかった!→1  2  3  4  5  6  7  8   9  10コ メ ン ト (空欄でも結構です。皆様からいただいたコメントの一部を公開しています。詳しくは【こちら】をお読み下さい。 公開OK  公開しないで!         これまでの平均点 8.02点 /これまでの投票回数 207人このレポートの公開されているコメントを読む【トップへ戻る】
真室川森林鉄道 関連ワード
  • 11時
  • 1月1日
  • 平成18年
  • 撮影
  • 森林鉄道