轟鉱山は北海道余市郡赤井川村にあった鉱山。 1896(明治29)年、石炭調査の際に、偶然に珪石脈が発見...

轟鉱山 お気に入りに追加

名称 轟鉱山
住所 北海道余市郡赤井川村轟
種類 廃鉱・採石場跡
北海道の廃鉱・採石場跡
スコア
★★★★ 29
現況 現存
評価 ■■

轟鉱山 概要・歴史

得虎洞(エルドラド)

轟鉱山は北海道余市郡赤井川村にあった鉱山。

1896(明治29)年、石炭調査の際に、偶然に珪石脈が発見される。1898(明治31)年に北海道鉱山が所有した後、次々と鉱脈が発見された。

その後、資源枯渇のため人員削減がなされたが、1921(大正10)年に大鉱脈が発見されると再び盛況を見せ、1922(大正12)年には発電所が竣工、精錬所も建設された。

昭和の戦前期に最盛期に達し、鉱山街の人口は1,000人ほどに達し、小学校や郵便局、商店、銭湯、宿屋などが作られた。

戦時中の1943(昭和18)年に金鉱山整理の対象となり休山。

戦後、1963(昭和38)年に再開し、細々と採鉱し国富鉱山へ送って精錬していたが、国富鉱山が精錬を停止したことで1970(昭和45)年に再び休山。

昭和50年代に金の高騰があったことから1982(昭和57)年に再開するが、高騰は続かず、資源の枯渇もあり1987(昭和62)年に閉山した。

露天掘り跡、トロッコ、ズリらしい荒地、精錬所跡の石垣、選鉱所跡、西卓越の小学校跡などの遺構が見られる。「得虎洞(エルドラド)」と呼ばれる坑道があったという。

この物件のオリジナル画像をご提供頂ける方は、ぜひこちらよりご連絡下さい

近くのスポット

轟鉱山 ストリートビュー・空中写真

轟鉱山 関連ブログ・参考リンク

轟(赤井川村)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/01-3.Doo/Akaigawa_Todoroki.html
村史によると、もと字白井川と呼ばれた地の一部で、轟鉱山の発見により栄えた地。主に金・銀を産出し、金は鴻之舞・千歳・手稲・静狩・珊瑠に続く歴代6位、銀は鴻之舞・豊羽・手稲に続く歴代4位を占めていた。地名は同鉱山があった 最近の地図で「廃坑」と記された付近を訪れてみたが、道と僅かな石垣がある程度で顕著なものは見当たらず。
轟鉱山 - プロバイダーなら ぷらら
http://www5.plala.or.jp/tepuia/mine_todoroki.html
林道の敷石に廃鉱石が使われており、ズリも残っていますので、鉱石拾いはできますが、ここで採掘されていた、金銀鉱石、轟石に代表されるマンガン鉱物は、容易には見つかりません。写真にあるプレハブは2006年現在、雪で潰れて
渓秋の北海道山釣り四季 2011年(15) 納竿日・師匠を偲ぶ白井川
http://www9.plala.or.jp/yamazuri/page090.html
今回の釣行に当たり地形図を基に計画を立てていると、白井川林道の中間地点に「轟鉱山・廃鉱」の記号が目に止まる。 果たして何を採掘していたのかと興味を抱きネット検索をすると誠に驚いた。 轟鉱山は明治10年に「金・銀」国内
札幌に帰っていた - 疾風怒濤のしましまにゃんこ - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/kurtz0221/18736687.html
赤井川村に入って明治鉱山(明治10年から昭和29年まで間欠的に採掘)の道を探す。60年前に廃鉱になった鉱山だけに道がサッパリわからない。いくつかの林道に入ってはハズレを繰り返すこと数回(国土地理院の地図には鉱山の場所は
of blue:轟鉱山 ~エルドラドの謎~
http://orange.naturum.ne.jp/e1385162.html
轟鉱山は明治30年の夏ごろ、大石沢上流で発見された石炭鉱が始まりです。 ここで「?!」と思った方は、なかなかのマニア、北海道で最も古い金鉱山の1つとして知られる轟鉱山の始まりは石炭でした。 今回頂いた地形図に、この様
北海道地質百選 0568: 「赤井川 旧 轟鉱山」
http://www.geosites-hokkaido.org/geosites/site0568.html
旧 轟鉱山は,鮮新世の浅熱水性鉱脈鉱床である.赤井川村白井川中縲恟纓ャに沿った地域では粘土化変質作用の影響が強く,両岸で珪化作用の影響が強い.これらの鉱化・珪化作用は鮮新世(3縲鰀2Ma)頃に起こったものとされる.金銀は
轟鉱山 関連ワード
  • 写真
  • 林道