曲渕炭鉱 概要・歴史

曲渕炭鉱は北海道稚内市にあった炭鉱。

天北石炭鉱業と宗谷炭鉱があり、1940(昭和15)年に天北石炭鉱業によって開鉱したものは稚内炭鉱と呼ばれ栄坑を有した。最盛期の1952(昭和27)年には7万トンを生産し、1958(昭和33)年に閉山。

また宗谷炭鉱によって開鉱した宗谷曲渕炭鉱は1940(昭和15)年に出炭を開始、最盛期の1957(昭和32)年には7万トンを生産し、1963(昭和38)年に閉山。

コンクリート遺構や貯炭場跡らしき施設などが残る。

また付近には廃線となった天北線の曲淵駅跡や、廃校となった稚内市立曲渕中小学校市営住宅や商店の跡などが見られる。

状態
2019年03月10日 更新

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曲渕炭鉱 住所

北海道稚内市声問村曲渕

曲渕炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

曲渕炭鉱 画像・写真

曲渕炭鉱

曲渕炭鉱 ストリートビュー・空中写真

曲渕炭鉱 スポット

曲渕炭鉱 ブログ・リポート

旧 曲渕炭鉱(天北石炭鉱業+宗谷炭鉱) : 遠い記憶、忘れられた風景。
http://moritocoa.exblog.jp/10785624
輸送手段として国鉄天北線や宗谷本線が開通すると宗谷地方でも石炭採掘が本格的になり、曲渕炭鉱は1939(昭和14)年に開鉱となった。天北石炭鉱業と宗谷炭鉱の2社で運営されいたようだが、閉山はそれぞれ1959(昭和34)年と1964(昭和39)年と違っている。また
空色コールマイン - sorairo coal mine -:曲渕
http://blog.livedoor.jp/sorairocm/tag/曲渕
前の記事にホッパーと書きましたが、これはホッパーではなく、石炭から油を取るための施設だということです。軍が建てたものですが、結局、油が作られる事はなかったそう。また、この付近に炭鉱住宅があっただろうと想像されますが、写真の住宅が炭鉱住宅かどうかは不明です。失礼
最北の炭鉱・曲渕炭鉱
http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/MAGARIFUCHI.htm
最北の炭鉱・曲渕炭鉱稚内市の山間部に位置する曲淵にはかつて炭鉱がありました。昭和15年に天北石炭鉱業(株)によって開鉱した稚内炭鉱は栄坑を有し、最盛期の昭和27年には7万トンを生産し、昭和33年に閉山しました。また宗谷炭鉱(株)によって開鉱した宗谷曲渕炭鉱は昭
曲淵の炭鉱跡
http://www.ab.auone-net.jp/~haikyo/haisen/magarihuchi/magarihuchi.html
曲淵の炭鉱跡(天北石炭鉱業(株))稚内市を含む宗谷地方は国鉄天北線や宗谷本線が開通すると、輸送問題が解決したために多くの炭鉱が試掘された。隣の猿払村では小石地区をはじめとして鬼志別や浅茅野でも採鉱がなされていた。今回はその中で小規模ながらも昭和39年の閉山まで
沼川駅跡と曲淵炭鉱 | ちょっと探検な日記
http://black.ap.teacup.com/isan/443.html
天北線の沼川駅跡、この沼川にもかつては小さい規模だったそうですが、炭鉱がありました。沼川を過ぎて、次の駅は曲淵炭住のすぐ脇にホッパーらしき遺構がありました。コンデジなので、ちょっとぼけてしまってます。と言うかアブと虫の猛攻で、車から降りることが出来ませんので窓

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