茅沼炭鉱(かやぬまたんこう)は北海道古宇郡泊村にあった炭鉱。 1856(安政3)年に石炭が発見されたこ...

茅沼炭鉱

茅沼炭鉱 概要・歴史

茅沼炭鉱(かやぬまたんこう)は北海道古宇郡泊村にあった炭鉱。 1856(安政3)年に石炭が発見されたこ...
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http://members3.jcom.home.ne.jp/bighorn3/tankou/kayanuma/kayanuma1.html
茅沼炭鉱2011年4月2011年11月探訪概要茅沼炭鉱は、安政3年(1856)に、ニシン漁に従事していた一人の漁民が、茅沼の玉川上流で「燃える石」つまり石炭を発見したことから始まる。おりしも箱館開港(1854)による外国汽船への石炭供給の必要性の増大という背景
http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/KAYANUMATANKOU.htm
茅沼炭鉱・ズリ山鎮座ズリ山を遠くに望む茅沼炭鉱は明治時代に突入する以前の1856年(安政3年)に石炭が発見されたことを契機として開発が始まりました。明治2年には日本で最初の軌道が積出港から炭鉱までの約3kmを結んで石炭が搬出されていたのです。西積丹ということ一
http://www.vill.tomari.hokkaido.jp/ene/ene2.html
エネルギー茅沼炭鉱安政3年(1856年)、一漁夫によって茅沼の山中で「燃える石」石炭が発見され、慶応3年(1867年)には、英国技師のガールを招き日本最初の鉄のレールを敷き、大量の石炭を貨車に載せて港まで出炭する方法が採られる等、いち早く外国の先進技術を取り入
http://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/140831menumatankoutetudou.html
茅沼炭鉱専用鉄道:茅沼港は港が小さいため大型船が接岸できず、艀荷役により岩内港へ石炭を運んでいた。沢口汽船から鉱区を買い取った茅沼炭礦株式会社(後に茅沼炭化礦業と改称)は岩内港まで索道を設け、茅沼炭鉱軌道を廃止して効率化を図った。しかしながら、冬期間には海の湿
http://tkohara.la.coocan.jp/niseko5.html
茅沼炭鉱軌道【日本国内の軌道交通のスタートの1つと呼ばれる地に初めて足を踏み込んでみました】いくつかの文献に、1872年(明治5年)の新橋~横浜間の鉄道開業以前に、日本国内にも軌道交通があったことが記されています。例えば長崎を訪れると、路面電車の市民病院前電停
http://futures.at.webry.info/201205/article_13.html
1869(明2)年に開通した日本最初の軌道ということで有名ですが,「全国鉱山鉄道(岡本憲之)JTB刊」によると,生野銀山も明治2年に鉱山鉄道が敷設されたそうですから,月日までわかりませんので,どちらが古いのかはわかりません。生野銀山は史跡としても有名ですし,観
http://www12.tok2.com/home2/airtax04/sangyo30.htm
安政3(1856)年、石炭が発見されたのを機に開鉱の“道内最古”の炭鉱。明治時代に突入すると、炭鉱から近くの港までの約3キロを、石炭を運ぶ鉄道が走った。これ(茅沼炭鉱軌道)が“日本最初の鉄道”といわれる。国のエネルギー政策により、昭和39(1964)年、閉山。
http://hikyoutaki.blog.fc2.com/blog-entry-488.html
北海道で1番古い炭鉱、すなわち最初に稼働したのは1856年の茅沼炭鉱(泊村)といわれている。当時はまだ江戸時代で、明治時代に入植した屯田兵よりも歴史があるようだ。翌年には白糠町でも稼働が開始され、炭鉱で栄えた北海道の起こりともいえるが、ただ古い記録なため、白糠
https://www.hotetu.net/haisen/Hokkaido/210809kayanumatankoukidou.html
更新日時 2022年01月30日 茅沼炭鉱軌道は、かつて北海道後志支庁管内古宇郡泊村の茅沼炭鉱で運行されていた鉱山鉄道。後に索道を経由する日本国有鉄道(国鉄)岩内線岩内駅までの茅沼炭鉱専用鉄道が運行されたが敷設ルートは全く異なる。茅沼炭鉱軌道は日本で最初の鉄道といわれている。1856年(安政3年)、茅沼にて石炭が偶然発見された。開港まもない箱館にとって、欧米の蒸気船用の石炭の確保は重要であった。直ちに箱館奉行所は茅沼にて石炭の調査を開始する。1864年(元治元年)、箱館奉行所はアメリカ人技師を招き、茅沼炭鉱の採掘を開始した。そのような中、鶴嘴ともっこといった人力による採掘運搬を見て、イギリス人技師エラスムス・ガウワーが、効率化のために鉄道(トロッコ)の建設を提案。1866年(慶応2年)には測量が開始され、建設が始まる。しかし、1868年(明治元年)からの戊辰戦争の影響により建設は中止される。やがて建設は江戸幕府から明治政府に受け継がれ、1869年(明治2年)に開通する。1868年9月に現地を訪れたイギリス外交官アーネスト・サトウは、海岸から渓谷まで2マイルに枕木とその上の木製レールが敷かれていたと書き残している。開業したのは、茅沼炭鉱坑口 - 茅沼港(積み出し港)の2.8km。鉄道とはいっても、仮設軌道やトロッコに近い。記録によれば、枕木は約150mm×150mm×1500mmの角材を用い、約900mm間隔で並べていた。レールは枕木と同じ寸法の角材に、補強用の幅15mmの鉄板を取り付けたものを使用していた。軌間は約1,050mmであった。貨車(トロッコ)は大型と小型のものがあった。茅沼炭鉱坑口から積み出し港までは緩やかな傾斜であることを利用し、茅沼炭鉱坑口→積み出し港は、貨車の重さを利用して坂を下らせた。制御のため、人が1名乗車していたという。積み出し港から茅沼炭鉱坑口へは牛、馬の力、場合によっては人力で動かしたという。小型貨車は、茅沼炭鉱坑口に滑車を設置し、2台の貨車を長いロープで繋ぎ、井戸の釣瓶のように2台を交互に動かす方法をとっていたという(日本最初期のインクライン)。貨車は4トン積めた。廃藩置県前、北海道の分領支配で米沢藩が同地を任されており、馬廻組の山田民弥(たみや)と絵図方の浜崎八百寿(はまざきやおす)が1870年(明治3年)3月上旬に滞在。山田の『恵曽谷日誌』には、浜崎の描いた絵入りでこの様子が記録されている。①茅沼炭鉱の石炭の積出港の石垣跡。①茅沼炭鉱の石炭の積出港の石垣跡。①茅沼港からは艀で海岸から運搬船に積み出していた。①茅沼炭鉱軌道跡。②茅沼炭鉱軌道跡。②茅沼炭鉱軌道跡脇の石碑。③茅沼炭鉱軌道跡。この辺が貯炭場だったのかも知れない。④茅沼炭鉱軌道跡。昭和30年代の茅沼地区 出典: 岩内町郷土資料館⑤茅沼炭鉱軌道跡。⑥茅沼炭鉱軌道跡。⑦茅沼炭鉱軌道跡。⑧茅沼炭鉱積出場跡。⑧茅沼鉱山泊線の看板。茅沼炭鉱。 出典: 岩内町郷土資料館茅沼炭鉱軌道図 出典: 岩内町郷土資料館戻る Copyright (C) 2008-2022 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『泊村』を掲載」出典: 岩内町郷土資料館
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