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発足鉱山でドッジラインとの攻防を想う北海道共和町 昭和24年(1949)2月、アメリカ政府は『経済安定九原則』の推進者として、当時のデトロイト銀行頭取J・M・ドッジ氏をGHQ最高財政顧問として日本に派遣した。それまでの日本は、戦後の壊滅的な経済を再建するため、政府は 「復興金融金庫」 による融資、 「傾斜生産方式」 の採用、 「価格差補給金」 の支給などを実施し、それらの手厚い成果により、鉱工業生産も上昇、 「悪性インフレ」 も収まりつつあった。ドッジラインの最大の目的はそれまで日本を支えてきた、インフレ下の補助金とアメリカの援助という二本柱を切断し、その安定と自立を達成するための金融政策にあった。具体的には赤字公債の発行中止、そして巨額の債務返還が計上され、戦後初めての黒字予算となり、物価の急速な安定を目的として、復興金融公庫・価格差補給金の廃止を施行した。同時に割高な国内物価の、国際物価との均衡を図る目的で1ドル=¥360の単一為替レートを設定した。それにより国内産業企業に厳しい合理化を図ることとなり、自立経済の基礎を固めた。この『見えざる補給金』の撤廃はインフレの終息と、日本経済の安定、自立による国際経済への連携を一挙に達成した半面、中小企業や農家は安定恐慌に落ち込み、大企業の人員整理を主とした合理化の推進は、完全失業者の二~数倍増加という側面を生み出した。この不況が深刻化した昭和25年(1950)朝鮮戦争勃発による軍需景気を迎えることとなる。昭和17年(1942)ころから渋谷鉱山として採掘探鉱はされていたものの、発足(はったり)鉱山が財閥による買収を迎えたのも、このドッジラインの渦中、昭和26年(1951)であり、 昭和33年(1958)には休坑を迎えている。銅・鉛・亜鉛鉱として採掘が進んだ山中の小鉱山。詳細な資料が無いものの、 夏の終わりに現地を訪ねてみよう。コウモリ・坑道・製錬施設・・・( ̄u ̄;)坑道跡トップページへ
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共和町発足にあった住友発足鉱山。昭和17年ころから探鉱が始まり、26年に住友金属KKが買収。金や亜鉛も採れたそうですが、銅と銀の出鉱が多かったそうです。昭和33年に休山し、そのまま現在に至っています。林道から、こんな小道に入って行きます。すぐに道は無くなり、あとは藪漕ぎナビを見ながらまずは熊ノ穴樋の坑口を目指します。最初に見つけた痕跡は、ズリ山!灰色の角ばった石がガラガラと積みあがっています。