幌別鉱山は北海道登別市にあった鉱山。金、銀、銅、硫黄などを産出していた。 1898(明治31)年頃に岩...

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名称 幌別鉱山
住所 北海道登別市鉱山町7
種類 廃鉱・採石場跡
北海道の廃鉱・採石場跡
スコア
★★★★★★ 42
現況 現存
評価 ■■

幌別鉱山 概要・歴史

幌別鉱山は北海道登別市にあった鉱山。金、銀、銅、硫黄などを産出していた。

1898(明治31)年頃に岩ケ崎鉱が試掘され、1906(明治39)年から銅を目的として採掘が開始された。

1907(明治40)年にシノマンペツ(幌別川本流)の上流5キロにある旭鉱で含金品位の高い鉱石が発見される。同年に幌別鉱山から幌別停車場まで鉱石運搬用馬車鉄道が完成、また幌別小学校付属鉱山教授所が開設された。

1908(明治41)年に銅精錬所が建設される。

1909(明治42)年に幌別鉱山から旭鉱まで軌道が開通、また幌別小学校旭特別教授場が開校。

岩ケ崎鉱、旭鉱は第1次世界大戦後に閉坑したらしいが、その後も硫黄の生産は続けられ、1920(大正9)年頃に硫黄生産量で日本一に達し最盛期を迎える。

1953(昭和28)年に幌別鉱山中学校が小学校に併置される。

1954(昭和29)年に鉱山軌道が撤去。

1971(昭和46)年に硫黄の精錬が中止され操業停止した。

1973(昭和48)年に北海道硫黄株式会社として閉鉱。

1974(昭和49)年に鉱山小中学校が閉校。

山中に第三排気坑などのコンクリート遺構、石垣跡などが残る。また半壊し朽ち果てた精錬所跡が残る。

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