大谷沢炭鉱 概要・歴史

大谷沢炭鉱は北海道赤平市にあった炭鉱。

1923(大正12)年に大谷炭礦として開鉱。その後変遷を経て戦時中に中断、1951(昭和26)年に大谷沢炭礦となる。

1955(昭和30)年からは旭ヶ丘炭礦、1961(昭和36)年に北振大谷沢炭鉱に引き継がれた。

1962(昭和37)年に平岸大谷沢炭鉱となる。1966(昭和41)年に閉山。

跡地は完全に藪に埋もれており、屋敷跡やレンガ製の扇風機跡、石組やわずかなコンクリート遺構が残る。

隣接地に1965(昭和40)年に平岸栄炭鉱が開鉱しているが、1968(昭和43)年にわずか三年で閉山している。

赤平市立旭丘小学校があったが、建物は解体され、「旭ヶ丘小学校」の碑だけが残っている。1950(昭和25)年開校、1970(昭和45)年閉校。

地図はおおよその地点。

状態
2011年09月15日作成  2019年05月30日更新

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大谷沢炭鉱 住所

北海道赤平市百戸町北

大谷沢炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

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