浦幌炭鉱 関連ブログ・参考リンク
http://505060.blog12.fc2.com/blog-entry-422.html
今回は廃坑探検です。浦幌町(うらほろちょう)から本別町(ほんべつちょう)へ続く道道56号線(本別浦幌線)を進んで行くと常室(つねむろ)という集落があります。その道路上に案内標識があるので、ココから道道500号線(音別浦幌線)へと入り「炭山」を目指します。道道5
http://blogs.yahoo.co.jp/hitou_sukisuki_dabe/60278278.html
浦幌市街から道道56号を利用して約20km先にある浦幌炭鉱跡を目指す。常室(とこむろ)簡易局のところで右折して常室川に沿った道道500号に入る。しばらく舗装路を走行すると、左側に炭鉱住宅アパートだった3胸棟の廃墟が現れる。昭和29年(1954年)10月に、浦幌
http://www.ab.auone-net.jp/~haikyo/haisen/urahoro/urahoro.html
浦幌炭鉱跡浦幌炭鉱は、第1次大戦中の大正7年に、浦幌駅より北方17km近辺で大和鉱業により開発された。浦幌町は十勝管内であるが、釧路管内全域に広がる浦幌層群と呼ばれる炭層から採炭していたことから釧路炭田の炭鉱として分類される。大正10年の休山まではケナシ鉱より
http://tansakunoato.blog.fc2.com/blog-entry-64.html
浦幌炭砿の歴史がこの看板に記載されています手元の資料によると以下の通りです明治28年古河家が探鉱大正2年大和鉱業が買収大正10年戦後の不況により休山昭和11年三菱雄別炭砿鉄道が買収昭和17年尺別・浦幌間のトンネル「尺浦隧道」完成昭和19年戦争の影響で九州配置転
http://tansakunoato.blog.fc2.com/blog-entry-67.html
旧病院跡地「この周辺は一大市街地を形成しておりましたその当時の浦幌町の人口は14,000人以上」手元の地図(手書き)によるとこの病院の周りにあるのはお寺/神社/共同風呂/派出所/購買所/総合ボイラー/貯炭場/鉄橋/ハーモニカ長屋ハーモニカ長屋は元朝鮮人宿舎だっ
http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/URAHOROTANKOU.htm
森に眠る浦幌炭鉱浦幌炭鉱は大正7年大和鉱業の手により開発が始まりました。しかしながら不況と輸送の不便さから当初の開発は停滞し本格的には昭和初頭からとなります。昭和8年には炭鉱鉄道の建設に着手しますが豪雨の影響などで開通を果たせず採算の悪化からか昭和11年に三菱
http://iph.zouri.jp/00174.html
浦幌炭鉱跡 浦幌炭鉱跡は,北海道十勝郡浦幌町にある炭鉱跡です。浦幌炭鉱は,1895年(明治28年)に炭鉱王の古河市兵衛が常室川上流に炭層を発見し,採掘を始めました。市兵衛の死後,1913年(大正2年)に大和鉱業が買収して留真・毛無地区の開鉱に着手しましたが,
http://jm-hokkaido.sakura.ne.jp/urahorokou.html
浦幌炭鉱(炭砿)は、釧路炭田西端、浦幌川支流常室川沿いに26キロ上流の台地に存在していた。大正2年、浦幌でいくつかの砿山を経営していた古河鉱業(明治28年に探砿)を大和鉱業株式会社が買収して、同7年より常室、留真、毛無の3ヶ所で開鉱したが、炭層不安定、輸送設備
http://honoguraiosanpo.blog.jp/archives/1020399074.html
北海道は十勝郡に位置する、浦幌炭鉱跡。炭鉱に従事した職員の住宅がまだ残っているというので、訪れてみることに。当然なのですが、炭鉱跡は山の中、奥深くに位置しており、奥へ奥へと寂しい道をひたすらに進むこととなった。はたしてこの道で良いのだろうかとの不安を抱きつつ、