北炭夕張炭鉱 関連ブログ・参考リンク
http://www.st.rim.or.jp/~success/kazama_ye.html
2007年4月11日 夕張を撮る写真家 風間健介の世界. 夕張は、明治の初期より、石炭鉱脈が発見され て以来、北炭(正式名称「北炭夕張炭鉱」)や三菱大夕張炭鉱が、この地に開設され、 ゴールドラッシュならぬ石炭ラッシュのような状況となって、飛躍的な
http://aribaka.blog112.fc2.com/blog-entry-313.html
今更かっ!といわれそうですが、今更ながら“北炭夕張新炭鉱”周辺を周ってきました。 夕張には数え切れないくらい訪問してるんだけど、ここはいつでもいけると思ってスルーしてました。 行ってみると感慨深いものがあります。 丁度わたしが中学生の頃、あのガス
http://www.haikyo-map.com/modules/myalbum/viewcat.php?cid=13
言わずと知れた炭鉱のメッカですね。住宅街を散策していると、結構逝ってる物件が多く見れました。
http://blog.livedoor.jp/tasyumigata-beautifulworld/archives/1016031197.html
変電所と言えば幌内や神威のように、レンガ造りの吹き抜けの二階建て構造と相場が決まっていますし、 あと、そこそこ台座があるとは言え、電線の集約設備が立つ大きさでは無いような・・・・・・・ で、帰って来て色々と考えてみたのですがその
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/01-3.Doo/Yubari_Yubari.html
夕張炭礦」の名称は広義に夕張市内の炭礦群を指すが、ここでは北海道炭礦汽船による狭義の夕張炭礦(北炭夕張炭礦)の集落について述べる。 かつては山腹に福住小学校・北陵(ほくりょう)中学校、道道沿いに夕張第二小学校(のち旭小学校)があった。
http://ysnowy.exblog.jp/13838683/
今度、炭鉱関係者に聞いて、調べてみようと思う。 夕張はまだまだおもしろい。 タグ: 夕張 炭鉱 廃鉱 80年代夕張119・福住 かつて山の上の方まで炭住 荒川鉱山・カラミ煉瓦ほか 雪がとけ、草木が芽吹 SNOWY・幌内炭鉱
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top5800.html
夕張新第二炭鉱で密封斜坑を見る北海道夕張市 当初、各礦坑口は類似の名称が多かった。大正7年7月、煩雑化を避けるため、各炭鉱ごとに統一改称を行うこととなった。新夕張礦は「松島」「橋立」などの三景名、真谷地礦は「榊」「桂」などの樹木名、平和礦は神名社、そして幌内礦に至っては滝名と、それぞれ水に関係した名称に改めた。今回、探訪の夕張礦も例外なく「最上」「北上」などの河川名に改称され、少しでもガス爆発や自然発火などのリスクを避ける願いが込められたことが根底にある。明治21年に付近で炭層が発見され、以来、80年間採炭を続けたが、経済炭枯渇のため、昭和46年に終掘する。その後、昭和48年に別層の開発目的に再び採炭されたが、再び昭和52年、閉山を迎える。歴史村以北の千才坑、長良坑ではなく今回は東部の山中に分け入る。その中で発見した連絡隧道は意外な場所に出てしまうという、予想外の結末であった。斜坑・遊園地廃墟・連絡隧道・・・( ̄u ̄;)千才坑トップページへ