東山油田 関連ブログ・参考リンク
http://picmov.web.fc2.com/tp/road/enoki/2.html
新榎トンネルの旧道ということでこの隧道の事を「榎トンネル」と呼ぶ場合が多くあるが、 多分「比礼隧道」が正式名称だと思う そういえばこの隧道も心霊スポットとして紹介 されていたような気がするぞ。 まぁ霊がどうこうなんて言ってたら、廃道探索なんて出来 っ
http://www.nagaokacci.or.jp/sangyou/html/p3_yuden.htm
東山油田は、長岡の東から三条にかけての一帯の山地に沿って分布する産油地の総称 です。 明治9年当時の油田調査では出油が少なく、殆ど廃坑に近い状態にあるとされ ていました。 ところが、明治20年代に入りにわかに活気づき、浦瀬から栃尾に抜ける
http://www.os.rim.or.jp/~hira/j/menu2.html
昨年、新発田の油田が閉山してから、旧式の油田は日本でここだけになりました。 現在 はガスの産出が主体で、使われ 環境問題もあり、今あるものも廃坑となれば確実に 撤去されていきます。 1979年頃の油田写真(写真 八森油田跡 ・ 東山油田の坑道堀 跡.
http://www.jfe-steel.co.jp/museum/jfe_pipe/collection/nagaoka/higashiyama/main2.html
東山油田は、長岡の東から三条にかけての一帯の山地に沿って分布する産油地の総称 です。明治9年当時の油田調査では出油が少なく、殆ど廃坑に近い状態にあると報告 されていました。 ところが、明治20年代に入りにわかに活気づき、浦瀬から栃尾に 抜ける
http://3rd.geocities.jp/dr_strange_love1121/haikyo-kitan40.htm
仕方ないので諦めて東山油田の調査に戻ります。 この写真に写っている山の山頂付近 に油田の掘削機が残っているのです! またも素敵なトンネルを通り抜けて油田に 向かいます。 しかも廃坑ではなく休坑です。いつか復活するのかなぁ。 名前は「R三七 号」
http://meiji-meisho.at.webry.info/200904/article_2.html
2009年4月16日 明治・大正名所 探訪記の長岡名所 東山油田に関する詳細記事。(Powered by BIGLOBEウェブリブログ) 「日本書紀」には天智7年(668年)、「越国、燃ユル土、燃ユル水を献ズ」という記述があり、古くから新潟県では石油やアスファルト状のツ黴
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/maehasi/oil/higasi.html
戦後まで、油田のポンプを動かす方法に、ポンピングパワーといわれるシーソーの 原理を使った方法が取られました。この方法ではポンプの片側に重りをつけ、もう 片側をワイヤで引っ張ることでポンプを上下に動かします。その特徴は、複数の ポンプにワイヤでツ黴
http://oldpar.web.fc2.com/report/remEeasternoilfield.html
旧国道351号線・榎峠で気づいた、峠の峰の上に建ち並ぶ鉄塔の群。そう、それはかつて栄えた油田の名残。2年前の春のある日、やっと越えた峠から仰ぎ見て、いつかの再来を誓ったのでした。越の国で”燃える水”が採れることは古くから知られていました。天智天皇への草生津の献
http://n-kato.cocolog-nifty.com/sigi/2008/06/post_f9ad.html
「東山油田(史跡・産業遺産)保存会」主催の、油田跡を浦瀬から展望台経由で桂まで歩く。1明治17年山の田で殖栗辰五郎が田からわき出る原油(臭水)を採取。2明治20年小坂松五郎(醸造業)浦瀬町腐沢で試掘成功。(東山油田開祖)記念碑・浦瀬2丁目山の入り口3明治21か
https://blogs.yahoo.co.jp/anonymat_21/50302843.html
今日は新潟県内も寒く、出かけるには躊躇するような天気でした。その上、妻は東京の娘のところへ。そこで、独り身の気軽さ、以前から行きたいと思っていた場所に出かけました。一箇所は小千谷市の小栗山木喰観音堂(こぐりやまもくじきかんのんどう)。もう一箇所は、長岡市栃尾町