唐松炭鉱(とうまつたんこう)は北海道三笠市にあった炭鉱。 1905(明治38)年から奈良炭鉱(吉備炭山...

唐松炭鉱

唐松炭鉱 概要・歴史

唐松炭鉱(とうまつたんこう)は北海道三笠市にあった炭鉱。 1905(明治38)年から奈良炭鉱(吉備炭山...
この物件のオリジナル画像をご提供頂ける方は、ぜひこちらよりご連絡下さい

近くのスポット

唐松炭鉱 ストリートビュー・空中写真

唐松炭鉱 関連ブログ・参考リンク

http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top20600.html
唐松炭鉱の守り神北海道三笠市   北海道には炭鉱が多かった。昭和32年(1957)全国に散らばった炭鉱数は864か所にのぼり、その内北海道には155か所と全国の17.9%を占めていた。また、その中で空知管内には110か所の炭鉱があり、道内の2/3以上が集中していたこととなる。それでは石炭の埋蔵量で北海道の位置付けを比較してみよう。昭和31年通商産業省石炭局編「全国埋蔵炭量炭質統計調査」によると、道内の全理論埋蔵量は102.3憶tで全国の211.8憶tの48.3%に当たる。そのうち高級炭の割合は全国の28%の当たり、道内の58%に相当する。中等級のものは全国の15.4%、北海道の31.9%、下等級のものはそれぞれ8.6%、10.1%と、高級炭に属するものが、 全体の半ばを占めこれが北海道炭の一つの大きな特徴となる。北海道における炭田・炭質別理論埋蔵炭量  炭田  炭質区分  理論埋蔵炭量(t)  全国比(%)  道内比(%) 天北 F1/F2(下等級) 1,009,137 4.8 9.9 留萌 B2~E(高級炭~中等級) 504.291 2.4 4.9 石狩 B1~E(高級炭~中等級) 6,487,194 30.6 63.4 釧路 C~E(中等級) 2,02,829 9.5 19.8 その他 B1~F1(高級炭~下等級) 2,03,766 0.9 1.9 道内計      10,232.212 48.3 100 全国計      21,183,801 100 日本で埋蔵炭量が最も多いのが石狩炭田(64.9憶t/30.6%)で、次いで筑豊炭田(27.7憶t/13.1%)。第三位が釧路炭田(20.2憶t/9.6%)、三池(17.3憶t/8.2%)、崎戸松島(11.5憶t/5.4%)と続き、第六位が常磐(11.1憶t/5.2%)、第七位が天北(10.1憶t/4.8%)となる。それでは効率の点から1平方㎞当たりの理論埋蔵炭量を比較してみよう。全国平均378万tに対して北海道が693万t、九州298万t、内地189万tと北海道が格段に多い。これは炭層数の多さとその炭丈が厚いこと、 「褶曲地層」 による体積増に起因すると思われる。面積別全国埋蔵炭量  炭田  集計面積(km2)【a】  理論埋蔵炭量(t)【b】  1㎞2当たりの炭量(103t)【b÷a】 天北 160,987 1,009,137 6.268 留萌 62,210 504.291 8.106 石狩 686,527 6,487,194 9.449 釧路 516.521 2,02,829 3.926 その他 49,862 2,03,766 1.387 道内計 1,476,107 10,232.212 6.932 内地計 1,252,408 2.362,466 1.886 九州 2,878,421 8,589,123 2.984 全国計 5.606,936 21,183,801 3.778三笠市の北東、唐松坑は明治38年(1905)6月から奈良炭鉱として採掘が進み、住友合資会社の北海道への橋頭保として、大正5年(1916)に買収、直前の藤松炭鉱から住友唐松炭鉱と名称を改めて、資本による採掘が進むこととなる。昭和18年(1943)閉山後、 奔別炭鉱 の鉱区として吸収され、やがて排気立坑として余生を過ごした。選炭機の処理能力が貯炭量を超えていたこと、そして排気立坑の掘削スピードが記録的であったことなども踏まえたうえで、現地の山中を歩いてみよう。排気立坑・危険ガス・貯炭場・・・( ̄u ̄;)選炭場トップページへ
http://www.asahi-net.or.jp/~RE4M-IDGC/3HOUMONS.htm
苔の回廊・住友唐松炭鉱と奔別排気住友唐松炭鉱選炭施設唐松炭鉱は明治38年吉備炭山として稼行され、大正5年に住友唐松炭鉱となります。戦中の昭和18年閉山。その後鉱区は奔別鉱業所の一部となり、唐松炭鉱の奥には奔別炭鉱の排気坑口が設けられました。唐松炭鉱のあった藤松沢は今は訪れる人もなく笹薮に覆われています。住友のマークのついた木造の選炭施設の基礎が沢の脇に残ります。三角形の穴を覗くと見事な苔の回廊が現れ感動しました。軌道のあった付近に残る基礎は植木鉢のような姿をしていました。一段高い場所には住友唐松炭鉱の平屋の建物がありましたが、その基礎が埋もれながらも残っていました。そしてその奥には住友奔別炭鉱の排気坑口がありました。扇風機の基礎と建物も残っていました。坑口の密閉には危険ガスの文字が赤字で記されていました。参考文献 平成21年 北海道炭鉱資料総覧 空知地方史研究協議会北海道旅情報巻頭 3-1.炭鉱町を旅する
http://hikyoutaki.blog.fc2.com/blog-entry-604.html
最近はすっかり遺構探険が中心になっております当ブログ、今回も炭鉱跡を探ってみました。三笠市の藤松沢上流に眠る唐松炭鉱跡は、明治時代に吉備炭鉱として開鉱され、統合、休止を経て三笠炭鉱~唐松炭鉱と名を変え昭和36年に閉山と記録があるようです。ネットでの情報は少ないようですが、遺構が残っているようなので探ってみました。地形図を頼りに藤松沢入り口に到着、ここからは徒歩で進むようです。熊出没注意の看板が利いてますね~、これを見て「ハイそうですか」と帰るようでは秘境探険はできませんそばには民家もあり、裏山的な存在でしょうか?倒壊した廃屋群を抜け、目印となる橋が見えてくるといよいよ山間に突入、ここからは鹿道を辿るようですが、夏は笹ヤブが酷くとても進めないとか?探険したのは5月下旬で、泥濘が多いものの登山道並に鹿道が残り意外に楽な展開鹿さんに感謝しつつ、行け行けどんどん。 遺構までは約30分の予定途中砂防ダムを3ヶ所ほど通過し、だんだん淋しい森になってきました。急にガサガサと斜面を登る鹿に脅かされながら、ついつい早歩きになるのは気のせいか遺構は何もなく、この先にホントにあるか?と、疑問に思い始めたその時、左の斜面に?まさしくコンクリートの人工物、さっそく斜面を登ってみると、円形の遺構で何かを流した水路跡のようだ。半分に割れており、そばにも遺構が転がっている。夏だとブッシュで気付かないかもしれない