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自動車関連部品などを製造する金属プレス加工業、アステック(薩摩川内市樋脇、山口勘一社長)の操業停止報道を受けた16日、従業員や取引業者らは「職 はどうなる」「未収金は」などと、不安な表情を見せた。一方、市など関係機関は社長と連絡が取れず、情報収集に苦慮している。 同社入り口の門は施錠され、立ち入り禁止の掲示。関係者によると、1日まで操業していた。約90人の従業員は2日以降自宅待機で、うち数人が出社し、取引先との電話対応などをしている。会社から解雇通知はないという。 ある従業員男性は「急激に売り上げが落ちたと聞く。会社から解雇の話はないが、職探しを始めた同僚もいる」と語り、「家族もいるのに、見通しが立たない」と厳しい表情。取引のある運送業者も「未収金が残っている。社長とも会えず、どうなるのか」。 市など関係機関も対応を検討中とするものの、経営者と連絡が取れずにいる。従業員数人が求職に訪れた川内公共職業安定所(同市)は「自宅待機から2週間が 経過したのに、従業員は失業保険の手続きに入れない状態」と説明する。市も「会社から連絡はなく情報収集中」。同市商工会は「地元下請け業者への影響も心 配」と懸念している。
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市比野中学校はかつて、鹿児島県樋脇町(現在の薩摩川内市)にあった、公立中学校です。半世紀も前に閉校となっていますが、奇跡的に校舎が残っていました。目次 1 旧樋脇町内の中学校合併2 企業誘致3 建物の配置4 校舎と工場のハイブリッド5 運動場と同じ高さにある校舎6 沿革7 関連記事旧樋脇町内の中学校合併市比野中学校が閉校したのは、もう半世紀も前のことです。しかし、跡地には木造校舎が残っています。校舎が残っているのは特殊な事情があります。旧樋脇町にあった市比野中学校は、1971年(昭和46年)に通脇中学校と対等合併しています。新樋脇中学校の校舎が完成するまでの間、旧樋脇中学校市比野分教場と旧樋脇中学校通協分教場として、旧校舎が使われています。1973年(昭和48年)、新校舎落成により完全統合し新樋脇中学校へ完全移転しました。そのため市比野中学校旧校舎の実質的な閉校は、1973年(昭和48年)ということになります。企業誘致1970年代、鹿児島県では企業誘致をすすめていました。それに応えたのが、埼玉県飯能市の松下製作所でした。松下製作所の先代の社長さんは、川内市出身で会社勤務を経て独立起業した方です。