樋脇町立市比野中学校は鹿児島県薩摩川内市(旧・薩摩郡樋脇町)にあった学校。 1971(昭和46)年に樋...

樋脇町立市比野中学校 お気に入りに追加

名称 樋脇町立市比野中学校
住所 鹿児島県薩摩川内市樋脇町市比野
種類 廃校
鹿児島県の廃校
スコア
★★★★★★ 30
現況 現存
評価 ■■■

樋脇町立市比野中学校 概要・歴史

廃校が工場に転用

樋脇町立市比野中学校は鹿児島県薩摩川内市(旧・薩摩郡樋脇町)にあった学校。

1971(昭和46)年に樋脇中学校と統合、当初は旧・樋脇中学校と市比野中学校の両教場で授業を行っていたが、1973(昭和48)年より現在の樋脇中学校にて授業を開始し、市比野中学校は使用されなくなった。

同1973(昭和48)年より、校舎跡を利用して松下製作所(飯能市)の関連会社として樋脇精工が創業する。光学機器の製造を行っていたという。工場に転用されるにあたって、校舎以外に小規模な建屋が複数建設されている。校庭は駐車場に転用された。

その後樋脇精工は現在地に移転、工場としても使用されなくなった。

電話帳には「(株)樋脇精工(製造部)」「エイムテクノア」「シンカイ技研」や2名の個人名とともに「(有)アステック」の企業名が2008年まで記載されている。この「アステック」は自動車関連部品を製造する金属プレス加工会社で、2008年12月に突如操業停止となったらしい。

当時のニュースによれば、従業員や取引先には解雇通知等はなく、市なども経営者に連絡がつかなかったという。

また、同市内には「第二工場」もあったようだが、現在この住所には、別企業の建物が建っている。当時の建物が転用されたのか、解体された後に新築されたのかは不明である。

以上より、工場としての役目を終えたのは2008年頃と考えられる。

2012年時点では、道路際に体育館跡や文字の消された看板、閉ざされて錆びた門なども確認できたが、2018年までに門以外は解体されている。

2023年5月時点で複数の建物が森に埋もれ、屋根に損壊があるのが空中写真からわかる。県道沿いにも木造平屋建ての住宅のような建物が2軒、緑に埋もれている。

樋脇町立市比野中学校 画像

アステック(2023年10月)
アステック(2023年10月)
©Google
アステック(2023年5月)
アステック(2023年5月)
©Google

近くのスポット

樋脇町立市比野中学校 ストリートビュー・空中写真

樋脇町立市比野中学校 関連ブログ・参考リンク

アステック操業停止 従業員、業者ら不安 薩摩川内 | 九州各県のニュース・トピックス
https://ameblo.jp/naka-toa/entry-10179273584.html
 自動車関連部品などを製造する金属プレス加工業、アステック(薩摩川内市樋脇、山口勘一社長)の操業停止報道を受けた16日、従業員や取引業者らは「職 はどうなる」「未収金は」などと、不安な表情を見せた。一方、市など関係機関は社長と連絡が取れず、情報収集に苦慮している。 同社入り口の門は施錠され、立ち入り禁止の掲示。関係者によると、1日まで操業していた。約90人の従業員は2日以降自宅待機で、うち数人が出社し、取引先との電話対応などをしている。会社から解雇通知はないという。 ある従業員男性は「急激に売り上げが落ちたと聞く。会社から解雇の話はないが、職探しを始めた同僚もいる」と語り、「家族もいるのに、見通しが立たない」と厳しい表情。取引のある運送業者も「未収金が残っている。社長とも会えず、どうなるのか」。  市など関係機関も対応を検討中とするものの、経営者と連絡が取れずにいる。従業員数人が求職に訪れた川内公共職業安定所(同市)は「自宅待機から2週間が 経過したのに、従業員は失業保険の手続きに入れない状態」と説明する。市も「会社から連絡はなく情報収集中」。同市商工会は「地元下請け業者への影響も心 配」と懸念している。
市比野中学校 樋脇町の温泉地・市比野に残る中学校跡であり工場跡│Harada Office Weblog
https://haradaoffice.biz/ichihino-chu/
市比野中学校はかつて、鹿児島県樋脇町(現在の薩摩川内市)にあった、公立中学校です。半世紀も前に閉校となっていますが、奇跡的に校舎が残っていました。目次 1 旧樋脇町内の中学校合併2 企業誘致3 建物の配置4 校舎と工場のハイブリッド5 運動場と同じ高さにある校舎6 沿革7 関連記事旧樋脇町内の中学校合併市比野中学校が閉校したのは、もう半世紀も前のことです。しかし、跡地には木造校舎が残っています。校舎が残っているのは特殊な事情があります。旧樋脇町にあった市比野中学校は、1971年(昭和46年)に通脇中学校と対等合併しています。新樋脇中学校の校舎が完成するまでの間、旧樋脇中学校市比野分教場と旧樋脇中学校通協分教場として、旧校舎が使われています。1973年(昭和48年)、新校舎落成により完全統合し新樋脇中学校へ完全移転しました。そのため市比野中学校旧校舎の実質的な閉校は、1973年(昭和48年)ということになります。企業誘致1970年代、鹿児島県では企業誘致をすすめていました。それに応えたのが、埼玉県飯能市の松下製作所でした。松下製作所の先代の社長さんは、川内市出身で会社勤務を経て独立起業した方です。