汐首岬第一砲台、汐首岬第二砲台 関連ブログ・参考リンク
http://www011.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/shiokubi1a.htm
(上) 汐首岬(第一)砲台の平面図. クリッカブルマップとなっています。対空遮蔽のため、 地形に溶け込ませるよう設計され、迷彩塗装が施されていた。 (戸井高校のグラウンドや 校舎、戸井沢団地は戦後に整備されたもの。)
http://www011.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/shiokubi1d.htm
汐首岬(第一)砲台 厠. (上) 迷彩塗装が施された厠(トイレ) ていたため、破壊には相当 手間取っていた。(上)の写真で、厠の右奥に、砲台中央部の掩蔽部出入口が見えるが、 これも数年後に塞がれてしまった。 汐首岬(第一)砲台 5ページ (砲台右翼部) へつづく
http://www011.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/shiokubi1c.htm
汐首岬(第一)砲台 中央部. (上) 掩蔽部の北西側出入口. この出入口部分は、戸井高校 によって土砂で埋められ、塞がれてしまった。 (左) 掩蔽部の構造. (上) 掩蔽部の北西側 出入口. この掩蔽部も、戦後に馬小屋として利用されたことから、内部は汚損している。
http://blogs.yahoo.co.jp/tusk380/5269111.html
2007年12月16日 汐首岬第一砲台(その2)汐首岬第一砲台は以前にも紹介しており、今回が2度目となる 。 尚、後に紹介 汐首岬砲台跡は第一、第二砲台とあるが、現存する施設の中で もっとも原型を保っているものは第一砲台各掩蔽部である。 画像は民家(
http://donan.org/kankou/siokubi_bat1.html
写真は、汐首岬第一砲台の左翼部砲側庫跡で、函館市史によるとこの周辺には全部で 30cm榴弾砲が4門配備されていました。 当初の予定では、汐首崎第1砲台には7年式 30cm長榴弾砲計8門が配備される予定でした。しかし、刻々と変わる国際情勢により
http://www006.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/shiok2.htm
汐首岬第二砲台. 汐首岬砲台の略年表は第一砲台のページをご覧ください。 (上) 何か の土台らしきコンクリートの残骸. (上2点) 残骸 この穴の中を覗くと部屋が残っていまし た。雑草の生い茂る季節には見つけるのが困難です。 (上2点) 爆破されてできた穴 ここ
http://kurousagitekikokoro.web.fc2.com/meisai109.html
2009年3月30日 そして、戸井町(現函館市)にも津軽海峡防衛のため砲台が備えてありました。これを 津軽要塞(汐首岬第一砲台)と呼んでいたそうです。 この要塞はベトン(コンクリート)が 迷彩塗装されているのが特徴で、現在も当時の塗装が残っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/tusk380/37282292.html
先の大戦では現役であった津軽要塞の一つ(汐首岬第一砲台) その中で中央部に位置する掩蔽部がある。 以下は2008年4月に撮影したものだが、当時はまだ内部に 入ることは可能であった。 内部は広いがゴミの山と化していた。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/shiokubi1e.htm
汐首岬(第一)砲台 右翼部. (上) 砲台右翼部の砲側庫と砲座. 砲側庫から砲座の胸檣 まで、鮮やかな迷彩塗装がつながっている。 (上) 砲座と煉瓦でできた遺構. (上) 砲側庫 の外観. (上) 出入口から見た砲側庫内の廊下. (上)(右) 現存する扉. この砲側庫は、 保存ツ黴
http://www011.upp.so-net.ne.jp/fortress/tsugaru/shiokubi1b.htm
汐首岬(第一)砲台 左翼部. (上) 砲台左翼部の全景. 迷彩塗装が施された砲側庫の左右 が、30cm長榴弾砲が据え付けられた砲座。砲側庫は、戦後に馬小屋として利用され たため、内部が汚損している。 (上) 砲側庫. 2箇所の出入口が、戸井高校によって金網 でツ黴