熊別鉱山は北海道函館市(旧・戸井町)にあった鉱山。熊別川上流域に位置する。 昭和30年代頃まで銅が...

熊別鉱山

熊別鉱山 概要・歴史

熊別鉱山は北海道函館市(旧・戸井町)にあった鉱山。熊別川上流域に位置する。 昭和30年代頃まで銅が...

熊別鉱山 画像

熊別鉱山跡(1976年)
©国土地理院

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熊別鉱山 ストリートビュー・空中写真

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熊別鉱山跡で要塞を探索する北海道戸井町   原子番号29、元素記号Cuの銅は、他の金属に比較して導電率が非常に高い。つまり電気を通しやすく、電気製品には欠かせない存在となっている。熱伝導性に優れ殺菌作用があり、また延性があり加工しやすい。道内では明治大正期に国富鉱山が稼行され、その後戦時要請により下川・余市鉱山・ 豊羽鉱山・伊名牛鉱山等の開発が進み近代化操業に入ったと言える。特に生産量が増加したのは、昭和25年以降で一時は日本第3位の生産量を誇った下川鉱山が稼行してからのこととなる。銅の道内生産比は全国の3.3%程度にとどまり、これは銅鉱山の開発が遅れ稼行鉱山が少ないことに起因する。本州に対して冬季間の作業性の悪さ、山元からの長大な運搬経路等が経費の増加に拍車を掛け、より高品位な採掘が望まれていた。また、国内消費銅の1/2が海外からのスクラップとして輸入され、銅の国内需給と海外市況の変動に大きく左右される背景がある。渡島半島の戸井町(平成21年10月 函館市に合併)地域には、古くから銅・鉛・亜鉛鉱脈や黄鉄鉱脈が多く発達していた。これら鉱床の発見時期は明らかではないが、相当に昔から探鉱されていたようである。しかしながら、第二次大戦中には付近一帯が要塞化され、その間の探鉱は中断された。昭和32年頃には再び採鉱されたようであるが、詳細は不明だ。熊別川上流域に火薬庫や3か所の坑口の存在が鉱床図にはある。また更に東方のエビコ沢流域には7か所の坑口が記載されているが、製錬や運搬については不明点が多い。未成の鉄道戸井線を含め、軍需機密に属する部分であったのだろうか。今回は海岸から熊別川を遡り鉱山跡へ分け入る。大きな遺構に期待を寄せていなかったが、それを裏切る結果になったことは、探索の醍醐味の一つかもしれない。廃墟・産廃・治山・・・( ̄u ̄;)廃祉トップページへ