品川台場 概要・歴史

品川台場(品海砲台)は東京湾上に所在した砲台。「お台場」という地名の由来となっている。

1853(嘉永6)年のペリー艦隊が来航を受けて、江戸幕府が江戸の防衛を目的に建設。1854年にペリーが2度目の来航をするまで、およそ8か月の工期で一部の砲台を完成させた。石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式砲台である。

明治以降、陸軍省の所管となるが、明治中期には東京湾要塞の建設が始まったこともあって台場の重要性が減り、以後徐々に払い下げられることとなった。

第一台場 - 周囲が埋め立てられ、現在の品川埠頭の一部(港南5-2コンテナ置き場南側部分付近)となる。

第二台場 - 撤去され、現在も海上。

第三台場 - 現存。現在の台場公園。

第四台場 - 南側と西側が埋め立てられ、現在の天王洲の一部(第一ホテルシーフォート付近)となる。護岸は、旧第四台場の石垣を再利用したもの。

第五台場 - 周囲が埋め立てられ、現在の品川埠頭の一部(港南5-11内貿3号上屋付近)となる。

第六台場 - 現存。レインボーブリッジ付近の海上にあり、現在は立ち入り禁止。

第七台場 - 未完成のまま撤去され、現在も海上(レインボーブリッジ台場口付近)。

御殿山下台場 - 現在の品川区立台場小学校。

状態
2019年06月11日 更新

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品川台場 住所

東京都港区台場1丁目

品川台場 種類

軍事施設・戦争遺構

品川台場 画像・写真

品川台場
無人島となっている第六台場
品川台場

品川台場 ストリートビュー・空中写真

品川台場 スポット

品川台場 ブログ・リポート

品川台場(武蔵国)
http://blogs.yahoo.co.jp/kanezane2/5796263.html
2度目の黒船来襲に対し、幕府はこの品川台場建設を急がせたが、結局この砲台は一度も火を噴くことなく開国することとなった。≪明治時代≫明治8年(1875) 海上の7つの台場が陸軍省の所管となる。明治中期には東京湾要塞の建設が始まったこともあっ
品川台場
品川台場▲ 404?
http://www006.upp.so-net.ne.jp/fortress/sonota/shina.htm
(上) 第三台場. 品川台場. 品川台場の略年表.
江戸湾防衛の海上要塞 第三台場② - 昭和の歴史B級研究所 - Yahoo
http://blogs.yahoo.co.jp/vwgolfjpndrum/3846023.html
2010年10月11日 台場」は江戸幕府が黒船来襲にそなえて品川沖に築いた人工の島、海上の要塞です。 東京湾の埋立てに伴い大部分が撤去され、現在は第三台場と第六台場が残るのみです 。第三台場は公園として整備され、防波堤沿いに歩いて渡ることが
タヌキおやじの日々の生活 遺跡シリーズ第12弾『品川台場』
http://kanaisocho.blog77.fc2.com/blog-entry-368.html
2012年1月29日 お台場の「台場(だいば)」とは、幕末に設置された砲台で、要塞の一種である。 日本 各地に築かれたそうな。 品川に設置された台場は、海上に第一台場から第三台場が 完成、その後に第五台場と第六台場が完成した。 第七台場は未完成、第
要塞とは何か - So-net
http://www011.upp.so-net.ne.jp/fortress/sonota/shiro.htm
要塞とは、国防上重要な地域・港湾・海峡等に敵が侵攻しないように設けられた防御営造物のことです。 具体的には、重砲を備えた砲台を . ペリー艦隊が去ると直ちに幕府は、江戸防衛のため、品川台場の築城に着手した。計画では品川沖に第一~十一台場を 
社団法人日本埋立浚渫協会
http://www.umeshunkyo.or.jp/108/kaitakusya/260/data.html
品川台場計画図・黒船来航図絵巻(横浜開港資料館所蔵). 江川英龍の自画像 この段階での江戸の海上防衛方針は、外国船が江戸湾に入る以前に富津-観音崎のラインに要塞化した台場を築き侵入を阻止するという計画であった。しかし、水深の深い海上 

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