豊里炭鉱 概要・歴史

豊里炭鉱は北海道赤平市にあった炭鉱。

1937(昭和12)年7月に昭和肥料(株)により開坑した。赤平地内炭坑のうち、茂尻炭鉱住友赤平炭鉱赤間炭鉱とともに大手四炭鉱の一つであった。

1939(昭和14)年、日本電気工業(株)と合併し昭和電工(株)となる。

戦後の1948(昭和23)年、合理化のための人員整理案が発表されると組合が猛反発、86日間にも及ぶストライキが展開され、労働史に残る闘いとなった。

1950(昭和25)年、東海産業(株)に売却され、翌1951(昭和26)年からは東海鉱業(株)の経営となるが、不振が続く。

1955(昭和30)年10月より明治鉱業(株)の系列下となる。

1967(昭和42)年3月に閉山。赤平の大手四炭鉱の中では最も早い閉山であった。

跡地は豊里工業団地となっており、私有地内に選炭場の一部遺構が見られる。

豊里ふるさと会館の前には「豊里炭鉱の碑」が設置されている。

山中に3連のホッパーや坑口跡などの遺構が見られる。

状態
2019年08月01日 更新

物件は管理されており、無断侵入や破壊・損壊行為、物品の持ち出し等は法的に禁じられています。航空写真・ストリートビューからの鑑賞を強く推奨します。また周辺地域を訪問される場合でも、公道上から外見のみを見学し、地域の方々に迷惑となる行為は厳に慎まれるようお願い致します。情報は最新の状態を反映しているとは限らず、リニューアル・再生されている場合もあります。当サイトの情報は物件の歴史的に一時的な状態を示しているのみです。また、不使用施設以外の味わい深い施設をおことわりの上紹介している場合がありますのでご注意下さい

豊里炭鉱 住所

北海道赤平市赤平

豊里炭鉱 種類

廃鉱・採石場跡

豊里炭鉱 画像・写真

豊里工業団地の看板
豊里工業団地の看板
豊里炭鉱の碑
豊里炭鉱の碑
ヘルメット型の遊具
ヘルメット型の遊具
特徴的で目をひく遊具である
特徴的で目をひく遊具である
豊里炭鉱
豊里炭鉱
この遊具も老朽化のためか立入禁止となっている
この遊具も老朽化のためか立入禁止となっている
公衆トイレもユニークなデザインとなっている
公衆トイレもユニークなデザインとなっている
基礎跡だろうか
基礎跡だろうか
藪の向こうにホッパーらしい巨大なコンクリート遺構が見えるが、草木が繁茂しよく確認できない
藪の向こうにホッパーらしい巨大なコンクリート遺構が見えるが、草木が繁茂しよく確認できない
基礎跡らしい遺構
基礎跡らしい遺構
この向こうにシックナーがあるはずだが、私有地で立ち入れない
この向こうにシックナーがあるはずだが、私有地で立ち入れない
1966年当時の豊里炭鉱
1966年当時の豊里炭鉱

豊里炭鉱 ストリートビュー・空中写真

豊里炭鉱 スポット

豊里炭鉱 関連ブログ・参考リンク

豊里炭鉱 - Biglobe
http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top501.html
昭和11年、肥料会社が細々と経営していた小炭鉱を、自社コークスの確保のために 買い上げたことが本炭鉱の発端となっている。 赤平市街地の西部を中心に広い鉱区の 中には、七租鉱を含んでいた。 その中でも栄えた福住炭鉱が8年、 他の小炭鉱にいたっ て 
空色コールマイン - sorairo coal mine -:赤平・豊里炭鉱の証
http://blog.livedoor.jp/sorairocm/archives/3365732.html
豊里炭鉱があった所は現在、工業団地になっています。その中に残っている、選炭場の一部。たぶん企業の土地。あまり近くには行けなさそうです。豊里ふるさと会館の前には、豊里炭鉱の碑。向こうに黄色いポールの街灯が立ってますよね?坑内で使われていた安全灯(カンテラ)のよう
Gallery M
http://hasiru.net/~maekawa/mine/toyosato/toyosato.html
豊里炭鉱北海道赤平市(写真:蓑津さん提供)昭和電工㈱は、多角経営の会社で、その石炭部門が「豊里炭鉱」であった。終戦により、豊里炭鉱においても、待遇改善、物資の優先配給、経営の民主化等が強く叫ばれ、1945年10月24日、豊里炭鉱労働組合が結成された。1948年
赤平市
http://www.dosanko.co.jp/tankou/walk/akabira/12-tanko/index003.html
豊里炭鉱所在地赤平市字赤平222番地開坑昭和12年7月1日閉坑昭和42年3月31日豊里炭坑は赤平地内炭坑のうち、茂尻、住友赤平、赤間各炭坑とともに大手四炭坑の一鉱として昭和12年7月に開坑しましたが、四炭坑の中で最も早い昭和42年3月に閉山しました。[もどる]

ピックアップ廃墟