豊里炭鉱は北海道赤平市にあった炭鉱。 1937(昭和12)年7月に昭和肥料(株)により開坑した。赤平地....

豊里炭鉱

豊里炭鉱 概要・歴史

豊里炭鉱は北海道赤平市にあった炭鉱。 1937(昭和12)年7月に昭和肥料(株)により開坑した。赤平地....

豊里炭鉱 画像

豊里工業団地の看板(2019年7月)
© 2019 廃墟検索地図 転載禁止
豊里炭鉱の碑
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ヘルメット型の遊具
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特徴的で目をひく遊具である
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この遊具も老朽化のためか立入禁止となっている
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公衆トイレもユニークなデザインとなっている
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基礎跡だろうか
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藪の向こうにホッパーらしい巨大なコンクリート遺構が見えるが、草木が繁茂しよく確認できない
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基礎跡らしい遺構
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この向こうにシックナーがあるはずだが、私有地で立ち入れない
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1966年当時の豊里炭鉱
1966年 ©国土地理院

近くのスポット

豊里炭鉱 ストリートビュー・空中写真

豊里炭鉱 関連ブログ・参考リンク

http://www7b.biglobe.ne.jp/~kitanohosomiti/top501.html
昭和11年、肥料会社が細々と経営していた小炭鉱を、自社コークスの確保のために 買い上げたことが本炭鉱の発端となっている。 赤平市街地の西部を中心に広い鉱区の 中には、七租鉱を含んでいた。 その中でも栄えた福住炭鉱が8年、 他の小炭鉱にいたっ てツ黴
http://blog.livedoor.jp/sorairocm/archives/3365732.html
豊里炭鉱があった所は現在、工業団地になっています。その中に残っている、選炭場の一部。たぶん企業の土地。あまり近くには行けなさそうです。豊里ふるさと会館の前には、豊里炭鉱の碑。向こうに黄色いポールの街灯が立ってますよね?坑内で使われていた安全灯(カンテラ)のよう
http://hasiru.net/~maekawa/mine/toyosato/toyosato.html
豊里炭鉱北海道赤平市(写真:蓑津さん提供)昭和電工㈱は、多角経営の会社で、その石炭部門が「豊里炭鉱」であった。終戦により、豊里炭鉱においても、待遇改善、物資の優先配給、経営の民主化等が強く叫ばれ、1945年10月24日、豊里炭鉱労働組合が結成された。1948年
http://www.dosanko.co.jp/tankou/walk/akabira/12-tanko/index003.html
豊里炭鉱所在地赤平市字赤平222番地開坑昭和12年7月1日閉坑昭和42年3月31日豊里炭坑は赤平地内炭坑のうち、茂尻、住友赤平、赤間各炭坑とともに大手四炭坑の一鉱として昭和12年7月に開坑しましたが、四炭坑の中で最も早い昭和42年3月に閉山しました。[もどる]