北炭赤間炭鉱は北海道赤平市にあった炭鉱。「北炭A間炭鉱」等として紹介されていることもある。 1938....

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名称 赤間炭鉱
住所 北海道赤平市大町1丁目
種類 廃鉱・採石場跡
北海道の廃鉱・採石場跡
スコア
★★★★ 60
現況 現存
評価 ■■
画像 photos 赤間炭鉱の写真

赤間炭鉱 概要・歴史

選炭工場跡とズリ山階段

北炭赤間炭鉱は北海道赤平市にあった炭鉱。「北炭A間炭鉱」等として紹介されていることもある。

1938(昭和13)年に開鉱。

戦後、1951(昭和26)年頃に最盛期に達し、1700人を超える従業員を擁したという。

1973(昭和48)年に閉山。

赤平駅近くに、1941(昭和16)年に北炭赤間橋とあわせて建設された北炭赤間炭鉱選炭工場跡があった。選炭工場と積込機を分かれており、ベルコン斜路で結合されているのが特色だった。1999(平成11)年5月に大部分が解体されたが、巨大な原炭ポケットが残存し、敷地外より外観のみ見学可能である。

また赤間炭鉱ズリ山が残る。坑内や選炭機から排出されるズリを、ズリ山頂上にある100~150馬力の巻揚機でワイヤーをドラムに巻き、ズリを満載したスキップ(トロッコ)を山の頂上まで引き上げ、ズリを堆積した。

このズリ山跡が、ズリ山階段・ズリ山展望広場として整備されている。ズリ山階段としては日本一の777段、標高197.65mである。登山路が設置されており、頂上まで徒歩30分程度で登ることができる。頂上には展望台が設けられている。

また、ズリ山跡付近には末広炭鉱の坑口跡が見られる。明治時代に奈江炭山、大正時代に赤平坑として稼業していたものを北炭が1939(昭和14)年に再開。1955(昭和30)年に北炭赤間炭鉱末広坑となり、1969(昭和44)年に閉山した。

赤間炭鉱 画像

赤間炭鉱の選炭工場跡(2019年7月)
赤間炭鉱の選炭工場跡(2019年7月)
© 2019 廃墟検索地図 Haiken 転載禁止
赤間炭鉱
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赤間炭鉱
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赤間炭鉱 ストリートビュー・空中写真

赤間炭鉱 関連ブログ・参考リンク

北炭赤間炭鉱とズリ山階段
http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/HOKUTANAKAMA.htm
北炭赤間炭鉱とズリ山階段整備された旧赤間炭鉱ズリ山階段赤平というと住友の企業城下町的イメージが非常に強いのですが北炭赤間鉱も市内の代表的な炭鉱のひとつです。昭和13年に開鉱し、最盛期の昭和26年には従業員も1700人を超えたこともありましたが北炭のスクラップア
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赤間炭鉱 リンク切れの可能性があります
http://deserted.shoggoth.org/hokkaido/akahira/akamatankou/index.html
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北炭赤間会館 - 赤平炭鉱関連 - 炭都めし上がれ2nd - FC2
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北炭赤間会館. 北炭赤間炭鉱関連の現役当時の写真では"赤間橋"の写真など見かけますが、"赤間会館"の写真があまり見かけないので今回UPします。 昭和40年代前半かとおもいます。 【全景】. 250昭和40年代・赤間会館全景 この男性たちは何してるんでしょうか? 251赤間会館2階席 緞帳です。立派ですね~北炭のマークがしっかりと 多分、大手の炭鉱にはこういった娯楽施設があったと思います。 あちらこちらの廃坑あとなどまわりますが、この頃の建物って比較的モダンなデザインしてますよ。
廃虚栄
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3月16日、美唄芦別遠征の際、美唄の探索を終え、桂沢の方ではなく12号線から赤平を抜けて行きました。赤平炭鉱には何度も訪問していますが、赤平駅の後ろにある赤間炭鉱には一度も行った事が無く、いつも素通りして、遠くからしか眺めたことがなかったので、寄ってもらうこと
そらちフットパスウォーク 24 赤平市 後編 - 田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!
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道路のやや奥まったところに工場の廃墟のような建物が目に入った。「赤間の旧選炭場」とのことだった。この施設も炭鉱遺産として保存されているそうだ。その横に、「赤間ズリ山(777段)」の入口があった。フットパスルートとしてはズリ山に登ることは想定していないが、マップ
赤平の末広炭鉱あと:ぶらりんこ空知:So-netブログ
https://bunkanyama.blog.so-net.ne.jp/2008-06-01
初回は赤平の末広炭鉱跡、坑口がいくつか残ってましたなぜ、末広炭鉱とわかったかというと、、、書いてあった(^^;注)当ブログを見て事件・事故に遭遇されたとしても一切責任を負いません。また、探索を勧めるものでもありません。輸車路の跡らしき所、右手が林道レンガ造りの
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