水神屋 概要・歴史
うな丼発祥の地で半壊したビジネスホテル
水神屋(すいじんや)は茨城県龍ケ崎市の旅館兼飲食店。牛久沼のほとり、国道6号線藤代バイパス沿いに位置する。
牛久沼は、食べてはすぐに寝て怠けて牛になってしまった小坊主の昔話「牛になった小坊主」の舞台と言われる。牛になった小坊主がこの沼で入水自殺をはかった、との伝承に因む。また同地は「うな丼発祥の地」といわれ、国道6号沿いをはじめ沼の近辺には現在でも鰻料理店が多い。
水神屋もそうしたうなぎ料理の店の一つで、江戸時代から続いていた老舗であり、かつては画家の横山大観や作家の松本清張なども訪れていたという。
戦時中の疎開体験を綴った『はるぶな日記』(英美子、白灯社、1953年)にも「沼辺りには、伊勢屋、湖月、水神屋と、昔からの有名な船宿がならんでいる」「馴染みの水神屋で釣舟を借り」と触れられている。また戦前に出版された『工房小閑』(小杉放庵、竹村書房、1934年)「水神屋の沼見晴らしの座敷に、鰻の焼ける間、胡瓜の生で盃をめぐらす」との記述がある。
現存する建物は京成バラ園が開設された1970年代前半の築で、3階建てのレストランは1971(昭和46)年に、5階建てホテルは1975(昭和50)年に建設された。
1995年1月に当時の経営者が強盗に殺害される事件があったが、事件自体はこの物件ではなく、経営者の自宅があった牛久市南で発生している。時効直前の2009年に容疑者が逮捕されたものの、嫌疑不十分で不起訴となり未解決事件となっている。
2011年の東日本大震災で被災、建物外壁が損傷、以来休業状態となっている。
2018年12月時点で、「ビジネス」「各種式場」の文字が残る宿泊棟は壁面が崩落し、随所で内部がむき出しとなり、「水神屋」の文字が見られるレストランも、向かって右側タワー部分の壁が大きく剥落している。また駐車場には雑草が生え、廃車や廃材が放置されている。「元祖うな丼」「水神屋」「御宿泊 御宴会各種」の看板は綺麗な状態で残っている。
2022年6月時点で、壁面の剥落がさらに進行、壁面や屋上部分にも落書きがされている。側面部分は骨組みがむき出しとなり、ボロボロになったブルーシートの痕跡が垂れ下がっている。放置されていた廃車は藪に埋もれ、トラックコンテナが放置され、落書きされている。レストラン部分も多くのガラスが損壊し朽ち果てている。管理会社の看板、警告文などが設置され、機械警備が導入され管理されている。
解体の方針が決まっており、2024年3月現在、解体撤去作業が行われている。