信砂御料小学校 関連ブログ・参考リンク
http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/NOBUSYA.htm
信砂小学校は海岸線から道道増毛稲田線に入り信砂御料に向かう途中、脇道を少し 西側に入った場所にあります。平成7年に改築された木造校舎はたいへん魅力的。ここ からさらに奥に昭和49年に廃校になった新信砂小学校があったとのことだが今では とても
http://haikouinspect.web.fc2.com/haison/nobushagoryou.html
増毛町信砂御料 平成22年5月他訪問. 増毛町信砂御料増毛町の中心市街地は日本 海沿いにあり 町内の多くの集落がその海沿い 開校は古く明治44年4月9日御料農地 第16号地帝室林野局より五ヵ年無償貸与を受け 信砂尋常小学校の分教場が開校する
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/01-1.Dohoku/Mashike_Shinnobusha.html
新信砂(増毛町) 戦後の食糧増産と引揚者等の仕事のために入植があった(信砂 御料でも同時に開拓が行われた)。主に大阪からの集団帰農者と樺太 学校跡付近の 笹藪を掻き分けて探索を試みるも、それらしい遺構は見つからなかった。 写真1 第二新 信
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/01-1.Dohoku/Mashike_N-goryo.html
御料(ごりょう) 地形図:信砂御料/国領形態:川沿いに家屋が散らばる離村の背景: 自主的な離農 左岸がほぼ字信砂、右岸が字御料だが、左岸であっても道路沿いは 字御料の地内となる。 以下は町史 明治40.4.9. 信砂尋常小学校の分教場として開校.
http://knaruse.blog94.fc2.com/blog-entry-57.html
2013年3月25日 明治40年4月9日、御料農地第十六号地及び隣接する斎藤勝太郎の納屋を借りて信砂 尋常小学校分教場仮校舎として発足した。斎藤氏は当時、 昭和16年 信砂御料国民 学校となり、昭和22年4月1日 増毛町立信砂御料小学校となった。