宇治茶寮(宇治川の岩風呂旅館) 概要・歴史
宇治川の岩風呂旅館
宇治茶寮は、京都府綴喜郡宇治田原町にあった料理旅館。国道3号線沿い、瀬田川沿いの宵待橋近くに位置する。「宇治川の岩風呂旅館」「U茶寮」等として紹介されていることもある。
会食と宿泊が楽しめる小規模ホテルで、道から宇治川に張り出した構造だった。
建物は登記簿上、1963年10月12日に新築されているため、1963年末または1964年初頭頃に開業したらしい。その後1964年と1973年に増改築している。
2000年から債権が株式会社整理回収機構に移っており、2002年には同社が差し押さえを行っていることから、2000年前後に閉業したものと考えられる。
少なくとも2000年代初頭には廃墟として言及されているが、少なくとも2005年時点で既に地上部分は解体されている。当時は道沿いに看板跡が残っており、「ご宴会ご宿泊 宇治茶寮」などの文字が読み取れた。また、川沿いの斜面に降りる階段、および道路下の建物跡が残り、大宴会場や岩風呂などの施設が確認されている。
登記簿の図面上は3階建てだが、3階の図面に「既登記2階部分」との記載があり、実際は木・SRC造スレート瓦葺陸屋根の地上2階地下1階だった。廃墟として知られるようになったのはこの地下部分(図面上1階)で、多くの落書きがされ朽ち果てた状態となった。宴会場は床が腐食し傾いた状態で、地下に降りる金属製の階段も錆付いて危険な状態となっている。
2018年4月8日の「洛南タイムス」(現・洛タイ新報)が、この廃墟で不審火が起こったことを報じている。地上部分は閉業間もない頃に撤去されているため、地下部分の火災と考えられる。ただし2016年頃のブログ記事でも既に火災跡についての言及があり、閉業後に複数回不審火があったらしい。
その後、土地の権利は個人所有を経て2022年に建設会社の所有となり、地上部分について重機が入り作業が行われ、土砂置き場のような場所として現役利用されるようになった。かつての地上部分は「売土地」の看板と簡易なバリケードが設置されているのみだったが、この作業時に強固なバリケードと監視カメラが設置されている。その後も権利が移っているものの、利用方法は変わらないようである。
2023年時点でも地下部分の構造は残っているらしいが、がらんどうで廃墟としても魅力は乏しくなっている。屋内は内張りをすべて剥がされコンクリート剥き出しの状態で、土砂が流入していて元宴会場を埋め尽くしているという。
多くの監視カメラが設置され厳重に管理されている。