与那大橋(国道58号与那旧道) 関連ブログ・参考リンク
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国道58号は沖縄本島を南北に貫く大動脈であり、また起点が鹿児島市であることから、沖縄で唯一他県とつながる道路でもある。とはいってもフロリダ・キーズのように延々と海の上を橋が渡っているわけではなく、あくまで仮想の国道である。国道は別の国道と接続しなければならず、
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こうして到着した与那大橋。大橋というほどの橋ではないかもしれない。しかし80年前の本格的なコンクリート製アーチ橋、この道の開通で車の往来が可能になった地元の人々の期待は、「大橋」そのものではなかったか。橋の下は波がひっきりなしに押し寄せる。ダイブしたい気もする
https://rasandroad.com/bridge/yona-ohashi.html
与那大橋大宜味村以北の道路が整備されたのは大正になってからで、国頭村伊地-与那間は1917(大正6)年に中坂と呼ばれる山道が開設されたものの、荷馬車がやっと通れる程度だったという。昭和5~6年に立案された沖縄県振興十五年計画により北部県道の開削工事が始められ、国頭村の辺土名~宇嘉は1935(昭和10)年に供用が開始された。その前年、中坂の岬を回る新道が開設され、岩場をつなぐように与那大橋が架設されたようだ。海岸沿いの橋が架設から80年経っても残っている例なんてそんなにあるもんじゃない。崩落する前に一度は見ておきたい。というわけで、やってきた。これを見るための沖縄遠征と言っても過言ではない。
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荒波による破壊で陸地からざっくり切り離された橋の上。断崖から飛んできた礫石が積み重なりまるでダートのようだ。橋の下を見れば岩壁を切り込む入り江にざっぱんざっぱん波が押し寄せていた。反対側には『よなおうはし』と刻まれた親柱が現存。あの立派なアーチはまさに大橋と言うにふさわしく、気合をいれて建設したのだろう。与那大橋は1934年(昭和9年)開通。このPDFの情報によると沖縄戦中に破損とある。呉我橋と同じく侵攻してきた米軍を足止する為の破壊処理だったのだろうが『落橋』ではなく『破損』とあるあたり、壊しきれなかったのだろう。その後も航空写真を確認するに修復され旧与那トンネルが開通するまで利用されたようだ。廃道となり幾度となく暴風荒波を受けながら80年近くたった今も姿かたちをしっかり残してるあたり、このアーチ橋の頑強さを物語っている。ただ、波をモロに受ける海側の親柱は上部が粉砕されている。竣工年月日が刻まれていたのだろうか?橋のわきから断崖側のアーチを覗く。アーチを潜る海面は恐ろしく透き通っていて、思わず飛び込みたくなる程。泳ぎがアレな自分はそのまま波に流される事になってしまうだろうが。脇にコンクリに埋められた木柱が。切断された木製電柱の跡だろう。橋を越えた先は完全に道が崩壊していた。護岸を辿った先に旧与那トンネル出口のポータルが見える。あそこへは相当にリスキーなルートを通らねば辿り着けないだろう。自分は無理、ここで撤収。ググってみたら、逆側から橋へ到達してる方がいた。
https://ameblo.jp/kotokotori-kotokotori/entry-12640769400.html
海岸にいったん降りて、藪が切れたら登ろうと思う。普段の車旅ならジムニーに着替えも靴もどっさり積んでいるのだけど、今回はレンタカーでもちろん帰路は飛行機だ。余分な服も靴もないので不本意ながら省エネ探索モードである。振り返って撮影。せっかくの沖縄なのだが、あいにくの曇り。よし、そろそろ登ろう。 うおー!かっこいい切通し!!! コンクリートがバレンタインの製菓用割れチョコみたいだ。 波が高いときは怖いだろうな。この道が1973年まで使われていたのか・・・。 短い廃道だから、カーブを曲がると、与那の集落への入り口がもう見える。 そして私の目の前には、この廃道のメインディッシュが間近に迫っていた。 キターーーーーー! 橋!!! 橋!!!(興奮で語彙力をどこかに落とした)