雨島集落 概要・歴史
アクセス困難な竹藪の集落
雨島集落は香川県仲多度郡まんのう町の集落。
盆地状の集落で上在所(かみざいしょ)、中在所(なかざいしょ)、下在所(しもざいしょ)の三つに分かれている。
険しい山道の奥にあり、小型車でもギリギリなほど狭隘でガードレールもない道が何キロも続くため、アプローチには慎重さが要求される。2020年6月現在、落石や土砂崩れの跡がさらに多くなっており、倒木により道が遮断されている箇所もあり、通行困難となっている。
地図位置付近が中在所となり、一軒の住居と離れ、物置があり、2020年初頭時点で建物は意外なほど奇麗で新しく、状態も良い。最後の住民が居住されていた住居らしい。
その奥には上在所が存在し、竹藪に埋もれた数件の建物があり、かなり朽ちた状態となっている。中には仏壇などが残された家も見られる。この住居群には少なくとも1977(昭和52)年には居住者があったことが、残された物品等から推測できる。
一部の建物には現在でも関係者が訪れているらしい。
集落の発足時期は不明だが、数百年前に雨島某という人物が開拓した集落である事から、雨島という地名がうまれ、雨島姓の住人が大半を占めているらしい。
雨島姓は雨島集落を含むまんのう町を中心に見られる希少な姓だが、岡山や大阪にもわずかに見られる。
集落には明治以前から四戸の家が存在していたが、大正、昭和へ移り変わるにつれて分家や転入によって徐々に人口を増やし、1952(昭和27)年には十二戸、58人とピークを迎えた。
深い山脈に囲まれて農地に恵まれない為、主に製炭で生計を立てており、住人は共同の小屋を作り、搬入搬出する物資の集積を行っていた。
児童達は1933(昭和11)年までは「安原小学校戸石分校」に通っていたらしい。
当時は集落に通じる道が整備されていない事や電灯等もなかった事から人力での物資の搬送を行い、ランプによる生活が行われていた。
琴南町(現・まんのう町)では1950(昭和25)年頃までに辺境集落の総てに電灯が導入されていったが、
雨島集落は最後の無灯集落となり、テレビや電灯が整備されたのは世間から大きく遅れた1961(昭和36)年だった。
この時の様子はテレビで放映され、琴南町内の出来事で初めて民放で放映されたものとなったという。
その後、1965(昭和40)年頃までに集落へ通じる道路、公衆電話、水道が整備され、一気に近代化が進んだ。
しかしながら近代化が進んだ事や、ほとんどの住人が生業としていた製炭業がふるわなくなった事で離村する住民が急激に増加、1983(昭和58)年の時点で下在所は全員が集落を離れて廃墟と化し、残りも四戸、5名にまで減少かつ高齢者ばかりという状態になり、集落の消滅が危ぶまれる状態となっていた。
その後、上在所は2006(平成18)年頃までに無人となり、2011(平成23)年に中在所に住む最後の住民が亡くなった事により消滅集落となった。
住民が離村するにあたって、財産の処分が困難である事から放棄されたものが多く、集落の廃屋には多くの残存物が残されている。