白梅学徒看護隊の壕 関連ブログ・参考リンク
http://masamasa.way-nifty.com/masa/2009/04/08-09-3755.html
沖縄県島尻郡八重瀬町にある「八重瀬公園」の駐車場のすぐ近くに「白梅学徒隊」の説明がありました。 ここにも沖縄戦の爪痕が.... 白梅学徒看護隊の壕 壕の入り口の方へ入ることができました。 大きな地図で見る つづく... 前回 の続きです。
http://13.pro.tok2.com/~kariyushi/shiseki/senseki/nunuchi.html
ここがヌヌチガマとよばれる壕で、戦時中、第一野戦病院分院として昭和20年4月下旬 頃、八重瀬町富盛の八重 瀬岳にあった同師団第一野戦病院が、軍医1名、看護婦1名 、白梅学徒隊(県立第二高等女学校)3名を派遣し 新城分院として開設されました。
http://www.nhk.or.jp/okinawa/senseki/map/detail67.html
標高163メートルの八重瀬岳に「白梅学徒看護隊之壕」の石碑があります。当時、多くの この壕は、陸軍の野戦病院として造られ、500人の負傷兵が収容されたともいわれ ます。 解散命令が出る6月4日まで、白梅学徒隊は看護を続けました。動員された56人
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1027.html
2010年9月30日 がしかし、沖縄戦での女子学徒による看護隊は、ひめゆり部隊だけではありません。 他 に、白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)、ずゐせん学徒隊(県立首里高女)』積徳 学徒隊(私立積徳高女)、梯梧学徒隊(私立昭和高女)、なごらん学徒
http://okinawanofukei.ti-da.net/e3206557.html
「白梅学徒看護隊之壕の風景」八重瀬町に行ってきたわけですが.八重瀬町富盛にある八重瀬公園の駐車場にやってきました。駐車場そばの階段を上っていくと、八重瀬グスク(富盛城)や八重瀬公園があるのですが、階段のすぐ左側にもう一
http://seseragijiro.at.webry.info/201206/article_13.html
ジロの沖縄の徒然の女子看護隊の沖縄戦 Ⅴ「自決の塔」(白梅学徒隊)Ⅱに関する詳細記事。(Powered by BIGLOBEウェブリブログ) 山部隊の南部への撤退が決行されると、病院壕での500名以上の歩けぬ患者への「処置」が命令された
http://pilgrimageokinawan.blogspot.com/2013/03/24.html
第24師団第一野戦病院壕は東風平町富盛にある、八重瀬岳中腹にあります。白梅学徒看護隊が動員していたことでも有名な壕で、「上の壕」と「下の壕」の2つの壕があります。 1945年3月24日~1945年6月3日まで病院壕として使用されてい