白梅学徒看護隊の壕 概要・歴史

白梅学徒看護隊の壕は、沖縄県島尻郡八重瀬町に残る病院として使われていた壕の跡。

白梅学徒隊(しらうめがくとたい)とは沖縄戦で従軍看護婦として活躍して犠牲になった女子学徒隊のうち、沖縄県立第二高等女学校の四年生たちによって編成された部隊の名前。「白梅隊」「白梅看護隊」と呼ばれる事もある。

壕跡には白梅学徒看護隊之壕碑が設置されている。

状態
2019年07月12日 更新

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白梅学徒看護隊の壕 住所

沖縄県島尻郡八重瀬町富盛

白梅学徒看護隊の壕 種類

軍事施設・戦争遺構

白梅学徒看護隊の壕 ストリートビュー・空中写真

白梅学徒看護隊の壕 ブログ・リポート

沖縄へ08-09 その29 八重瀬公園(その2)
http://masamasa.way-nifty.com/masa/2009/04/08-09-3755.html
沖縄県島尻郡八重瀬町にある「八重瀬公園」の駐車場のすぐ近くに「白梅学徒隊」の説明がありました。 ここにも沖縄戦の爪痕が.... 白梅学徒看護隊の壕 壕の入り口の方へ入ることができました。 大きな地図で見る つづく... 前回 の続きです。
ガイドブックに載らない史跡
http://13.pro.tok2.com/~kariyushi/shiseki/senseki/nunuchi.html
ここがヌヌチガマとよばれる壕で、戦時中、第一野戦病院分院として昭和20年4月下旬 頃、八重瀬町富盛の八重 瀬岳にあった同師団第一野戦病院が、軍医1名、看護婦1名 、白梅学徒隊(県立第二高等女学校)3名を派遣し 新城分院として開設されました。
八重瀬岳の病院壕
http://www.nhk.or.jp/okinawa/senseki/map/detail67.html
標高163メートルの八重瀬岳に「白梅学徒看護隊之壕」の石碑があります。当時、多くの この壕は、陸軍の野戦病院として造られ、500人の負傷兵が収容されたともいわれ ます。 解散命令が出る6月4日まで、白梅学徒隊は看護を続けました。動員された56人
ねずさんの ひとりごと 白梅の少女たち
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1027.html
2010年9月30日 がしかし、沖縄戦での女子学徒による看護隊は、ひめゆり部隊だけではありません。 他 に、白梅学徒隊(沖縄県立第二高等女学校)、ずゐせん学徒隊(県立首里高女)』積徳 学徒隊(私立積徳高女)、梯梧学徒隊(私立昭和高女)、なごらん学徒
白梅学徒看護隊之壕の風景:沖縄の風景
http://okinawanofukei.ti-da.net/e3206557.html
「白梅学徒看護隊之壕の風景」八重瀬町に行ってきたわけですが.八重瀬町富盛にある八重瀬公園の駐車場にやってきました。駐車場そばの階段を上っていくと、八重瀬グスク(富盛城)や八重瀬公園があるのですが、階段のすぐ左側にもう一 
女子看護隊の沖縄戦 Ⅴ「自決の塔」(白梅学徒隊)Ⅱ ジロの沖縄の徒然
http://seseragijiro.at.webry.info/201206/article_13.html
ジロの沖縄の徒然の女子看護隊の沖縄戦 Ⅴ「自決の塔」(白梅学徒隊)Ⅱに関する詳細記事。(Powered by BIGLOBEウェブリブログ) 山部隊の南部への撤退が決行されると、病院壕での500名以上の歩けぬ患者への「処置」が命令された 
沖縄慰霊巡拝 : 第24師団第一野戦病院壕 - Blogger
http://pilgrimageokinawan.blogspot.com/2013/03/24.html
第24師団第一野戦病院壕は東風平町富盛にある、八重瀬岳中腹にあります。白梅学徒看護隊が動員していたことでも有名な壕で、「上の壕」と「下の壕」の2つの壕があります。 1945年3月24日~1945年6月3日まで病院壕として使用されてい 

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