舟打鉱山 概要・歴史
僅かなコンクリート遺構が残る
舟打鉱山(ふなうちこうざん)は青森県弘前市にあった鉱山。
江戸時代末期、安政年間に発見。金・銀・銅・鉛・亜鉛が採掘された。
明治に入り転々と権利が移り、1911(明治44)年には採鉱権をを手にした慈光寺泰仲が雷鉱山と命名。
その後も鉱業権は移り、1929(昭和4)年に日本曹達の所有となり、1933(昭和8)年頃に本格的な採掘が始まった。
1935(昭和10)年に舟打部落が形成され、その後診療所なども作られた。1938(昭和13)年には相馬第二尋常小学校舟打分教場が創立、1340(昭和15)年には舟打鉱山尋常小学校と改称。
太平洋戦争中も稼行し、戦後は従業員数は減ったものの、1955(昭和30)年頃でも190世帯、約800人が生活していたという。日産70tの選鉱場を備え、年産鉛1010t、亜鉛1964t、他にも銅や硫化鉄鉱が生産されていた。
輸入鉱石に圧され1962(昭和37)年9月に閉山。翌1963(昭和38)年8月31日には小中学校も閉校した。
跡地には植林され、1982(昭和57)年以降はキャンプ場として利用されていたが、そのキャンプ場も不使用状態となっている。
舟打鉱山無縁佛、舟打鉱山友之会碑、神社跡、小祠などの他、コンクリート遺構が見られ、跡地の一部は伐採が行われている。
2017-11-24
2021-03-03