相武電気鉄道 概要・歴史
世界恐慌に潰えた電鉄
相武電気鉄道(そうぶでんきてつどう)は大正後期に東京(恵比寿駅)と神奈川県中央部を結ぶ路線として構想された鉄道路線およびその運営会社。
国有鉄道横浜線淵野辺駅(ふちのべえき) - 上溝駅(かみみぞえき) - 田名村(現・神奈川県相模原市)の間は1927(昭和2)年6月に着工され、路盤の建設が完了。車両の発注まで行なわれていたが、1929(昭和4)年に始まった世界恐慌の影響もあり資金に行き詰まり、工事は中断された。1936(昭和11)年までにすべての敷設免許が失効し、1938(昭和13)年に破産した。
その後、ほとんどの建設用地は購入代金の未払いのために元の持ち主に返還され、戦後直後頃まで残っていた痕跡も農地となったり宅地開発などにより姿を消した。姥川に相武電鉄の暗渠が残されていたが近年になり解体されている。
相武電鉄が鳩川を渡った場所にかかる妙現橋やその周辺の地形にわずかな痕跡が見られる。
また、相武電気鉄道の上溝駅が設置予定だったJR相模線上溝駅近くのダイエー駐車場付近に、橋梁跡らしいコンクリート遺構が見られる。相武電気鉄道の数少ない遺構である。
2019-07-25
2024-04-24