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八戸の防御陣地づくりは、昭和十九年十月から同二十年三月の冬期間に急ピッチで行われた。海軍では昭和十七年頃から、大湊警備府の八戸分遣隊が蕪島周辺を基地にする工事をしていた。しかし、やがて蕪島とその一帯は、本土決戦に備え、海軍の水上特攻艇(震洋)基地を建設する工事が始まった震洋はボートに爆薬を搭載して敵艦に体当たりする目的を持ち、その基地として蕪島には五本の坑道が掘られた。陸軍と海軍は八戸の海岸に、感度が悪いが、電波警戒機あるいは電波探信儀を設置し、さらに肉眼や双眼鏡による監視哨をつくった。(おじさん注 : 写真付で「海軍電探基地跡として「現在の葦毛崎展望台」が載っています)