木之實隧道は岐阜県恵那市の廃隧道。木ノ実峠を越える国道257号旧道に位置する。 1931(昭和6)年8月....

木之實隧道

木之實隧道 概要・歴史

木之實隧道は岐阜県恵那市の廃隧道。木ノ実峠を越える国道257号旧道に位置する。 1931(昭和6)年8月....

木之實隧道 画像

木之實隧道(2019年12月)
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坑口は簡素な作りである
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「木之實隧道岩村口」「昭和六年八月三十日」
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上村口坑門
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上村口坑門の扁額
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車両は進入できない
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近くのスポット

木之實隧道 ストリートビュー・空中写真

木之實隧道 関連ブログ・参考リンク

https://minkara.carview.co.jp/userid/1796277/blog/43582829/
今日は、岐阜県恵那市と上矢作町の境、国道257号の旧道にある木之實隧道と国道の旧旧道にあたる木ノ実峠への林道へ行ってきました。まずは恵那市岩村方面からトンネルに続く旧道を登っていきます。トンネル前まで車で入ってこられましたが、道中は実質的には廃道と化していました。木之實隧道です。開通は昭和6年(1931年)で延長は153m。現在供用中の新木ノ実トンネル(延長:1350m)が昭和63年(1988年)に開通して旧道になりました。高さ制限3.3mなので、荷台が箱型の大型トラックや大型バスは通過困難だったでしょう。トンネル前後の狭くて急坂な旧道を含め、新木ノ実トンネルが開通するまでボトルネックになっていたと思われます。昭和戦前期のトンネルということで坑門はコンクリート製。デザイン的には非常に簡素なというか、アーチ形状に合わせて線刻が施されているだけの味も素っ気もないものです。飾り立てていないのは、この程度のトンネル掘削は明治・大正期と違い、普通の建設工事になってきた証と言えるかもしれませんし、のっぺりと単調なのはコンクリート製ならではのものとも言えるでしょう。では、せめて扁額が立派なのかというと、アーチ頂上部に小さな金属製プレートで付けられているだけ。現代のトンネルの方が立派なくらいです。扁額には「木之實隧道岩村口」と「昭和六年八月三十日」とあります。トンネル内へと入っていきます。内部はコンクリート吹付。壁面が凸凹しているので、元は素掘りだったのかもしれません。
http://jyuuniya.yu-yake.com/gifu_tn/go_kinomi_zuido.htm
木之實隧道トンネル名称木之實(きのみ)隧道路線名旧国道257号線所在地岐阜県恵那市上矢作町延長(m)153m道路幅員(m)5.3m車道幅員(m)4.8m歩道等(m)0.0m有効高(m)3.2m竣工年度1931年(昭和6年)8月(注1)壁面覆工 セメント系 内装なし(注2)路面アスファルト系(注2)照明なし通行制限高さ制限3.2mその他 データは特記なき場合は「平成16年度道路施設現況調査」より(注1)扁額より(注2)現地目視による調査日2008年3月23日、2011年10月9日 岐阜県恵那市にある「木之實隧道」です。「實」は「実」の旧字体です。 岐阜県は非常に多くのトンネルを有する県ですが、その中でも木之實隧道は昭和6年竣工と岐阜県下では数少ない戦前製のトンネルです。以前は国道257号線に属していましたが、新木の実トンネルの開通により旧道に降格され第一線を退きました。南側(上矢作方面側) 南側より見た「木之實隧道」です。トンネル手前には高さ制限3.2mの標識が立っています。 訪問時はトンネル北側の法面崩落により通行止めとなっていました。写真手前の道に倒れているのは通行止めのバリケードです。 いつから通行止めになっているのか判りませんが、ここしばらく道路の手入れがなされていないようです。 南側の抗門です。戦前竣工の古いトンネルですが特別な装飾はありません。とはいえ笠石や迫石を模していると思われる坑口回りの溝など昭和中期のトンネルほど実用一辺倒で無愛想な抗門でもありません。 扁額はとても小さいサイズのものが取り付けられています。 年代を感じさせる右書きで「木之實隧道上村口 昭和六年八月三十日」と書かれています。「上村」は現在の上矢作町の前身に当たる村で昭和31年に他の村と合併して上矢作町となりました。 北側より見たトンネル内部です。内壁は微妙に凹凸のあるモルタル仕上げになっています。 一部モルタルが剥がれコンクリートの内壁本体部分が露出しています。北側(岩村方面側) 北側より見た「木之實隧道」です。トンネル手前には高さ制限3.2mの道路標識があります。訪問時にはその後方に「土砂崩落のため通行止め」の看板と簡易バリケードがありました。 抗門右上のコンクリートの吹き付けが剥がれ法面が崩れています。これが通行止めの原因のようです。 北側の抗門です。抗門の前には上から崩れてきた土砂の一部が堆積しています。 北側の扁額です。こちら側は「木之實隧道岩村口 昭和六年八月三十日」と書かれています。 北側より見たトンネル内部です。2008年3月 南側 2008年に訪れたときの写真です。 南側の抗門です。 南側の扁額です。 南側より見たトンネル内部です。 この時にはトンネル内に電線が通っていますが、2011年に訪問した際にはなくなっていました。2008年3月 北側 2008年3月時点での北側の抗門周辺です。左の写真だと小さくてよく判りませんが、後に崩落を起こす坑門右上法面のコンクリートにはすでに亀裂が入っています。 北側の抗門です。 北側の扁額です。 北側より見たトンネル内部です。岐阜県のトンネル一覧へ初稿:2013年3月16日
http://blog.livedoor.jp/genneigennjitu2005/archives/52004584.html
木之實隧道 ( 木の実隧道 )と呼ばれる この廃トンネルは 旧国道257号線でした。1988年(昭和63年)に 新木の実トンネル が開通して 木之實隧道は 格下げとなり 時の流れの中で 何時しか廃道区間となりました。
http://desire2012.sakura.ne.jp/kinomizuidou.html
木之實隧道本日の第2目的地、廃隧道へ国道257号線 旧道 木之實隧道 上村坑口蜩(ひぐらし)が鳴いていました 心霊スポットではないので、余り荒らされていません 随分と小さい扁額です 望遠撮影しないと読めません 木之實隧道 上村口 昭和6年8月30日実は通行止めです  ⇒は「木の実林道」起点柵は一台分開いてますから、突入は可能ですが・・・ 撤収!
https://ameblo.jp/quicknick/entry-12450874009.html
2012年11月3~4日、初めての奥三河探索。出発した夜の立ち寄り記事が瀬戸菱野トンネル、今回の物件の2時間40分後に訪ねたのが前橋。   ちなみに、前夜は「道の駅上矢作 ラフォーレ福寿の里」で車中泊。11月上旬ながらも、伊勢神隧道通過時点で気温表示は1度!確実に夜半には氷点下まで下がっていたはず。寒かったあ~!    そして、夜明けとともに始動。最初のターゲットに向けて国道257号線を北上し…
https://mitanki.hatenablog.com/entry/2019/07/30/140506
国道257号の新木の実トンネルの手前を左に入ります。旧道に入ってすぐに高さ制限の標識と通行止めの看板がありました。隧道までの道は容易にすれ違いができる幅員です。途中で多少路面が荒れているところがありましたが、普通に通過できました。隧道が草木で隠れています。冬に来たらまだ別の見た目なんだろうな~これじゃ車は通行できませんね。二輪は行けます。隧道内から水が流れてきています。
https://sites.google.com/site/minekonoosanpo2/home/syoko/sui-dao-bu-men/di18-mu-zhi-shi-sui-dao
木之實隧道がポイントとなります☆以前、ネットで調べたところあまり行かれる方が多くないのか・・・・今となってはこの通り↓今では車でも通れないことに↑現在は新木の実トンネルが開通したので旧道は村道として利用されていましたが、現在では完全に通行止めです。そんな事でちょっと路駐↓隧道真上の吹付が剥がれて今ではこの通り↓随分と埋もれましたな・・・・↑↑の写真ではよく見えませんが、さりげなく小さな銘板があります↓木之實隧道岩村口昭和6年8月30日(竣工)だそうです。昭和6年と言うこともあって、装飾のない隧道さんですね↓
http://cycle313.web.fc2.com/089-bangai.html
AM . 10 : 20 木之實隧道着。(730m)口村岩道隧實之木日十三月八年六和昭極々小さなカンバンでした。AM . 10 : 30 国道257合流。トンネルから短い下りがあり再びR257に合流します。ここから本格的な快走路になりました。途中道の駅がありましたがかまわず通過。AM . 10 : 40 新弁天橋着。古い道標が根本を頑丈にしてもらい、まだ現役で頑張っていす。AM . 10 : 45 越沢口着。(380m)これより県道33号線に入り明智を目指します。漆原という山間の小さな集落を登るようになりました。ひと登りすると何となく分岐で、「さて、どちらへ?」と思った時、「至 明智←〈33〉」が目に入りました。細い方の道を指しています。ここで迷う人が多いのか・・・? 手作りの道標に感謝。