紀州鉱山(紀和鉱山) 関連ブログ・参考リンク
http://okunokun.ikora.tv/e187761.html
2008年12月16日 紀州鉱山といっても現役の鉱山ではなく、昭和40年代に廃鉱になった鉱山のトロッコを 観光用に走らせているところです。 金属鉱山であった紀州鉱山は廃鉱になっても鉱毒 処理用の施設が動いていて、その施設点検修理のためにまだ10数
http://hse.dyndns.org/hiroto/Railway/kiwa/kiwa201.html
戦中・戦後には、国内屈指の鉱山として栄華を極めましたが、1970年代以降の円高の 中で徐々に衰退していったのは国内鉱山に共通の歴史。紀州鉱山も、1978年を最後に 廃鉱となりました。 鉱山なきあと、町おこしの期待を担って開設されたのが湯ノ口温泉
http://www.geocities.jp/junk2515/rail/kishu_00.htm
三重県の山奥、和歌山、奈良県との県境にあった紀州鉱山は長大なトロッコ路線 をもっていたことでも知られています。現在はもちろんすべて廃止されていますが、ごく一 部が湯ノ口温泉へのアクセス路線として運行されており、その片鱗に接することができ ます。
http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/kisyuu01.html
紀州鉱山とはこの辺一帯にあった三和鉱山や大谷山銅山、楊枝山銅山など数々の中小 鉱山の総称である。歴史上発見されたのは結構古く西暦700年代に銀を時の朝廷に 献上したという記録が残っている。また西暦745年の奈良の大仏の建立にもここの銅や
http://www14.plala.or.jp/e-town/yunokuti.htm
湯の口温泉トロッコ. 三重県熊野市紀和町の湯の口温泉には、瀞流荘と湯ノ口温泉を 結ぶトロッコ列車が運転されています。 廃坑になった紀州鉱山のトロッコを観光鉄道 として運転しているものです。乗車時間は、10分ほどのミニトリップです。温泉の入浴の
http://www.toyohaku.gr.jp/chika/collection/tmnr/resources/resources.html
紀州鉱山は、銅や硫化鉱を採掘する鉱山で、主な鉱石鉱物は黄銅鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛 鉱、方鉛鉱などです。1970年には、銅1.3%、硫黄5.0%を含んだ粗鉱を265000tも 掘り出していましたが、その後は事業を縮小し、1980年に廃鉱になっています。 トンネル 内
http://kirohayuni.blog.fc2.com/blog-entry-96.html
2013年8月29日 紀州鉱山に関してはリー様がお詳しいとの事なので、ガイドしていただきながら廃鉱散策となりました(^^) 五條で待ち合わせて車で湯の口温泉を目指したのですが… 途中で通行止め(時間制限)に合ったり、散策で渡った吊り橋で越を抜かしツ黴
http://hongukikanku.blog133.fc2.com/blog-entry-128.html
遅いお盆休みを取りまして昨日ちょっと鉄分(になるのか?)を補給してきました。 以前友人達と飲んでいる時に「紀州鉱山に行ってみない?」と話になりまして、キロハユニさんと二人で(平日だったので)日帰りで行ってきました。 キロハユニさん
http://blog.livedoor.jp/tokaimakai/archives/50234372.html
紀伊半島ディープ・サウスにある紀州鉱山跡地。選鉱場跡地のパルテノンのようなコンクリートの立体物の連続は、まるでアート・オブジェのように美しい。古くは奈良時代に奈良の東大寺大仏が建立されたときに紀州地方の鉱山から大量の銅が供出されていたと言われている。更には南北
http://ruin-explorer.com/kisyu/kisyu.html
発電所跡鉱山廃鉱坑道地下紀州鉱山の記憶参考ホームページ:津島軽便堂写真館様廃愛好人様歩鉄の達人様板屋地区板屋地区略式図左現在、選鉱場脇インクライン跡右当時、選鉱場脇インクライン(津島軽便堂写真館様HPより)地図上A選鉱場付近選鉱場跡地図上A選鉱場付近坑口左現在
http://www.hotetu.net/kouzannkidou/130317kisyukouzantetudou.html
更新日時2017年10月16日紀州鉱山鉄道:紀州鉱山は昭和9年(1934年)石原産業がこの地域に多数の鉱脈があることに着目して、鉱山事業を始めるために鉱区買収をしたことから始まります。以来、閉山の昭和53年(1978年)に至るまでの44年間、開発初期段階や太平
http://ruins-cat.com/blog-entry-238.html
紀州鉱山は古くは奈良時代から採掘が行われていた鉱山であり、主に銅を産出したほか金・銀の鉱脈もあった。奈良東大寺の大仏を建立する際にも、ここで採れた大量の銅が使われたと伝わっている。写真の選鉱場が建てられたのは戦前の1939年(昭和14年)、その5年ほど前から当
https://homipage.cocolog-nifty.com/map/2019/05/post-95fa88.html
紀伊半島の山中を、ささやかなトロッコ列車が走っている。軌間2フィート(610mm)、走行距離は約1kmに過ぎないが、1日6往復の設定がある。しかし、鉄道事業法に基づくものではないため、市販の時刻表や鉄道路線図には一切載っておらず、知る人ぞ知るという存在だ。
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/kisyukozan/kisyukozan.html
紀州鉱山鉄道 三重県・和歌山県・奈良県の県境にあった軌間610mmの複線で電化されていた鉱山鉄道です。 紀州鉱山を訪問したのは1976(昭和51)年1月です。友人と3人で新宮からバスに乗り、板屋へ行きました。←そのとき持って行った5万分の1の地図です。上の3/4は「十津川」昭和44年編集より下の1/4は「新 宮」昭和44年編集より紀州鉱山鉄道の路線が点線で引いてありましたので、赤でなぞりました。トンネル部分は薄く、地上へ出ている部分は濃く塗ってあります。駅以外は、ほとんどトンネルでした。この地図で、湯ノ口から左斜め下に行く路線は、既に廃止になっていました。当時は、板屋から小口谷・湯ノ口を経由して惣房まで、定期旅客列車が運行されていました。鉱山従業員とその家族および地元住民用で、運賃は無料でした。鉱山の方の御厚意で、湯ノ口~上川も臨時列車に乗車させて頂きました。訪れた駅が緑色で記入してあります。紀州鉱山は1978(昭和53)年に閉山になりましたが、鉱山鉄道の一部は奇跡的に復活し、小口谷(瀞流荘)~湯ノ口(湯ノ口温泉)をトロッコ列車が1日6往復しています。ぜひお出かけください。下の駅名をクリックすると当時の写真がご覧いただけます。 板屋 小口谷 湯ノ口 惣房(そうぼう) 上川(じょうせん) Topに戻る
https://ameblo.jp/kumano-kankou/entry-12425465321.html
今年も、旧紀州鉱山の坑道を探索するツアーが11月23日~24日と実施されました。埼玉や大阪など10数名の申し込みがありました。毎回、公社のホームページでのみの募集ですが、参加いただきうれしいのとびっくりというのが正直な感想です。でもツアーの内容は素晴らしく、多くの人が知れば参加者は多くなると確信していますが、いかんせん情報発信がHPのみで、お金をかけずに集める方法を模索しています。もちろん、SNSなど使っていますが、どれだけ効果あるのか多少疑問です。