国政隧道(七畑山隧道)は徳島県三好市にある土讃線(どさんせん)旧線の廃隧道。阿波川口駅 - 小歩危駅...

国政隧道(七畑山隧道)

国政隧道(七畑山隧道) 概要・歴史

国政隧道(七畑山隧道)は徳島県三好市にある土讃線(どさんせん)旧線の廃隧道。阿波川口駅 - 小歩危駅...
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国政隧道(七畑山隧道) 関連ブログ・参考リンク

http://www.geocities.jp/trtky722/Kunimasa_T.html
土讃線は台風が多く、毎年のように、斜面崩壊や道床が洗われるなど、災害が頻発していました。 さらに昭和南海大震災により、ただせさえ不安定な地盤がさらに不安定になり、確か昭和二十五年頃、 少なくとも阿波川口-小歩危がトンネルによる新線へ移行されました。この区間遺構
http://tynd.bakufu.org/yamasirodani2.html
土讃線山城谷トンネル旧線2 しかし朽ちている(構わん、行け行けぃ)。せっかく旧線跡に家を建てたのに、廃線に廃屋である(これを言ってみたかっただけ)。 廃屋の後に回ると激藪であった。なんとなく入りたくなかったので迂回。 迂回して反対側に来た。振り返って(多度津方面を向いて)撮っている。 国道に削られたのかここも狭くなっている 手すりがあるが、あまり人の通るような所とは思えない。 少し進むとまた廃屋が現れた。廃線跡って地価安いのか? それとも廃線を目的に住んでいたのか?(そりゃ無いな) ここの一番の目玉商品である七畑山隧道である。嫌に厳重な廃隧道である。というのも酒造会社に払い下げられて酒蔵になっているようで、中にはお酒がぎっちり詰まっているらしい。酒造メーカーのサイトでは国政隧道と呼ばれていた。モノレールまで持ち込んで本格的である。本格的といえばSECOMのステッカーが。この日丁度蔵出しらしく、取材を申し込んでみたが断られた。ヽ(`Д´)ノ まあ当然か。見学会開いてよ、。このトンネルにはライブカメラが設置されているようである。「明治城本舗 トンネル」で検索。 この反対側が例の抗口である。(別窓)(追記)明治城本舗は倒産したらしい。また明治城は借受をしていただけで、トンネル自体は池田町の醤油メーカーが所有しているようだ。 反対側の線路跡である。法面が崩落している。ここは行動不能に陥る可能性があるため迂回して高知側から接近である。 落ちていた碍子であるが、日付が1941年である。1941年は太平洋戦争を開戦した年である。65年前のものである。やはり表面のつるつるな焼き物は綺麗に残る ところでここまであまりぐっと来るようなものが無かった。何かないかね。とりあえず信号柱の撤去された所でも。 途中路盤と直角に謎のコンクリート塊が鎮座していた。これではレールを敷けないので変更後に作られたものと思われるが、何のためのものかは分からない。謎と言えば右の写真の基礎も度々見るが、一体なんであろう? 機械箱を設置する所であろうか? 橋梁跡。またですか? もう迂回するの面倒くさいんですけど。 ここもあぶないと判断し、一旦国道へ戻る。この日F氏は一番歩きにくい靴でこの場に臨んでいた。次
https://tynd.bakufu.org/Kunimasa_T.html
国政トンネル(阿波川口-小歩危)'05 2/11 土讃線は台風が多く、毎年のように、斜面崩壊や道床が洗われるなど、災害が頻発していました。 さらに昭和南海大震災により、ただせさえ不安定な地盤がさらに不安定になり、確か昭和二十五年頃、 少なくとも阿波川口-小歩危がトンネルによる新線へ移行されました。この区間遺構が結構残っているのですこしだけ見てみました。一応地図です。手書きで雑ですいません。赤線が土讃線現行線(トンネル)、緑が旧線、青が国道32号線、赤丸が探索した場所です。実は時間が無くて慌てていたため、うっかり詳しい場所を忘れてしまいました。なので赤丸はあくまでもこの辺りだろういう目安です。この道をよく利用する方なら4枚目の写真で場所がわかると思います。 国道からも見える橋脚。(脇見運転は事故の元なので控えましょう)。旧道から撮影。 橋台跡の脇を登ると、右方向に抗口まで獣道が続きます。地元の人が椎茸か山菜狩りでもしているのか、又は自分と同じことを考える人がいるのか足跡がついていました。写真には地元の人のものであろうバケツが写っています。上の写真には如雨露が写っていますね。 塞がれていると思ってた坑口。バリケードはなく中に入れます。落ち葉が積もっていてバラストは見えず、歩くと地面が凹みます。 抗口の前の橋台跡から国道32号を望む。下の道は旧道。青い橋は国道32号のもの。鮎戸○橋 ←名前失念 トンネルの中を撮影。ストロボを焚いても暗いです。 ちょっと拡大。 見えづらいんですが分かります? 内部に盛られた土砂が。閉塞されているようです。自然崩壊には見えませんでした。タイヤやキャタピラの跡が無かったので反対側からか、人力で塞いだようです。(その前にあの斜面を車では無理)。 最初はカーブしているのかと思いましたが、やっぱり塞いでいるんですね。 廃坑には必ずと言っていい程ある不法投棄です、いろいろなものが捨てられていました。手回脱水機の洗濯機が見えます。昭和30年代のものでしょうか。 三枚目の写真の地点から後ろを振り返ったところを撮影。橋脚と、その向こうに橋台が見えます。 道に下りて旧道から橋台を撮影。微妙に坑口が写っているんですが、分かりますか? この探索では装備を何も持ってなく、懐中電灯一本すらありませんでした。というより元々ここに来るつもりは無く、別の目的で出かけた所が、 道路が雪で通れず急遽ここに来たのでした。おまけに今回訪問したのが人生で初めての廃線探索でした。再訪しなくては。→本格調査編MENU
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最終更新 2006年6月26日  土讃線旧線 阿波川口~小歩危ニ回目                                 TOP>廃線探訪>土讃線旧線 阿波川口~小歩危ニ回目土讃線旧線 阿波川口~小歩危ニ回目   次は先程の隧道(国政隧道)のもう一方の洞門を探すめく足をすすめた。時間がないので急ぎ足。逃した遺構もいくつかあることだろう。そして、そんなことを考えつつ国道から廃線方面に目をやるとこのような光景が目に飛び込んできた。 このコンクリートの橋脚の上にはこの線区の中では比較的大きめの橋が架けられていたのだろう。ちなみに橋を正面にもってきて右側、つまり多度津側は山・・・。もうお分かりいただいただろう。ここにはあれがあるに違いない。 雨上がり、滑りやすい急斜面を気力で登り廃線跡に目をやると、遂に国政隧道高知側洞門発見!!先程とは打って変わって"廃"な雰囲気が繰り広げられている。これは期待できそうだ。 そして、いざ、入洞 (しかし終わりは既に見えているw 入洞から一分足らず。距離にして10メートルくらい。隧道内は土砂によって人工的に閉塞していた。隧道内はかなり黒ずんでいる。汽車が頻繁に通っていた頃の名残であろう。ところで、よく考えたら反対側は綺麗に整備された設備がある。しかし、このような簡単な閉塞でよいのだろうか。おかしい。あのような厳重警備の反対側がこんな甘いものではいけないはずなのだ。そして・・・よく目を凝らすして見ると隧道天井と土砂の間に隙間が空いているではないか。これは上るしかない。 最初は何も写っていなかった写真の明度を上げコントラス下げると壁を認識することができる(それにしても何故フラッシュが焚けなかったのだろう・・・)。土砂の頂上に上るとコンクリートによって閉塞されていることが確認できた。これで満足だ。 ところどころで線路跡に上ってみるとこのように植林が行われていた。線路跡は辛うじて確認できる程度となっている。 橋の遺構かと一瞬思わせたこの橋は廃線後、線路跡に付けられた歩道用の道路だった。遊歩道かなにかに使われたのだろうか。用途は分らない。 橋に上がってみると多度津側はこんな感じ。 しかし、高知側は隧道だ!線路跡は全体的に民間に売り払われた部分が多いこの線区の廃線。隧道内も売却され、様々な用途に使用されているのだろう。ここも例外ではなく何かに使用されていたようだ。反対側から通じているのかは分らないがこちらは荒廃している。 反対側はどうかというと民家が立ち並ぶ中、違和感なく何かの小屋のごとく洞門はある。 隙間があったので少し覗かせていただいた。外観がいかに違うものであろうと、これは隧道なのだ。 ちなみにこの隧道の反対向きはこんな様子。右上が線路跡。川の高さから線路跡の高さまでの凄まじい高低差がお分かりいただけるだろう。 阿波川口~小歩危の廃線はそろそろ終点。このような橋脚が柿間現れる単調な風景が続く。 鉄道用に頑丈に作られた盛土(コンクリート法面)の上には民家が建つ。 これが現行線との合流手前の最後の橋脚だ。カーブがあるので国道32号線を高知方面から高松方面に向かってすすむと正面になるためいやでも目に入るだろう。ご存知の方もおられるのではないだろうか。 合流してから小歩危駅までまだ距離がある。トンネルと落石防止シールドを交互にもってきて造られた線路を右に眺めながら小歩危まで至ることができる。なんとも土讃線らしい光景が広がっている。 おわり  戻 るSEO■■■■■神FX動画で月収100万円稼ぐ■■■■■[PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送
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最終更新 2006年6月25日  土讃線旧線 阿波川口~小歩危一回目                                 TOP>廃線探訪>土讃線旧線 阿波川口~小歩危一回目土讃線旧線 阿波川口~小歩危一回目 土讃線旧線阿波川口~小歩危は土讃線の中、災害対策として新線への切り替えによって廃止となった廃線のうちの一つだ。川、国道と平行して造られていたこの区間は土砂崩れの名所であって災害も頻発していたのだろう。そこでこの区間を山の中を直線で貫く山城谷トンネルが掘られた。ちなみにこの区間の景色は抜群で車窓からは眼下に小歩危峡を眺められたことだろう。ちなみに国道のほうも新たにトンネルが掘られる予定で現在線の存続が窺わしい・・・。 地図は青線が現在線、推定ではあるが赤線が旧線だ。※「時間のなさ」「カメラの電池切れ」から撮影枚数がすくなっている上、設定を間違えぶれぶれの写真が多くなっている。それを承知でご覧頂きたい。 私は探索したこの日、大杉~土佐北川の二つの廃線と合わせて3本立てで行程を組んでいた。身もデジカメの電池も削りつつこの線区に挑んだ。行程は阿波川口から小歩危までを徒歩による走破。橋が多いこの線区では困難を極めた・・・ まず駅前の道路を小歩危方面に歩いていくと橋を渡る。この道はおそらく旧道。橋からは二本の橋が別に見えた。一本は国道、もう一本は土讃線だ。旧線はこの現在線とは違う橋を使いこの川を渡っている。おわかりいただけるだろうか。奥の工事中の国道の橋脚の手前に見えるコンクリートを。あれが旧線のものだ。 橋を渡り阿波川口方面を望むとよりわかりやすい橋脚があらわれた。道路、現在線と二本の橋が迫ってくる窮屈な部分に旧線の橋脚はあった。よく撤去されなかったものだ。 旧線が橋を渡り終える部分ではなんと工事が行われていた。よくわからないのだが、おそらく国道の新トンネルに関係する工事だと思われる。 国道沿いを進むとそれらしく風景にありついた。民家が立っているところ、あそこが旧線跡だ。おそらくあの小さい山となっている部分は切りとおしで通り越したと思われる。 そして、階段を上り民家の立つところにのってみると、このような状態。この線区の廃線は危険地帯ながらあろうことか民間に売却されているのだ。まぁ、安全が確認されたところだけだろうが、なんとも私としては住み心地が悪い。 これから行く先を望んでみる。切り立った二つの山の間を流れる川が小歩危峡。なんとも景色がいい。秋は紅葉、冬は雪山、夏は新緑、春は、、山桜などが楽しめるのであろう。 ところどころ旧線に上る階段があり上ってみると民家かこの有様。民間に売却されなかったところでは植林が進み線路跡は消えつつある。 民家と隣り合わせに橋台がある。この区間にはこのような感じの場所が多いのだ。探索し辛い。 そして真新しいコンクリートの階段に遭遇した。この階段の手すりかと勘違いしたものはなんと愛媛のみかん畑でみたものが!そうだ、これは簡易的なモノレールなのだ。主に運搬にしようされるもの。一体、線路跡から何が搬出されているのだろうか。 おお、隧道じゃん!しかもなにやらメカチック。ステンレスがまぶしいフェンス。監視カメラ。センサー。まぁまぁなにか知らないがとにかく厳重装備。こんなところに何故にこのような過剰装備。ここに来るまで防犯装置がいくつか見られた。流石にこの状態ではこの先には近づけない。何も情報を得ることなくこの場を跡にした。 二回目に続く  戻 るSEO拉致事件を専門に扱うジャーナリストが実行犯を追及![PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送