古武井小学校(こぶいしょうがっこう)は北海道函館市(旧・恵山町)にあった学校。 2004(平成16)年....

古武井小学校

古武井小学校 概要・歴史

古武井小学校(こぶいしょうがっこう)は北海道函館市(旧・恵山町)にあった学校。 2004(平成16)年....

古武井小学校 画像

古武井小学校(2021年8月)
© 2021 廃墟検索地図 転載禁止
壁面には経年劣化の跡が見られる
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建物の回りには雑草が茂っている
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古武井小学校 ストリートビュー・空中写真

古武井小学校 関連ブログ・参考リンク

http://blog.livedoor.jp/oonoseiichi123/archives/42636760.html
さて、古武井(こぶい)の集落は古武井川の周辺にあります。道の駅「なとわ・えさん」を過ぎた国道278号線の左側には学校を示す道路標識が今も残っています。それが、今日紹介する旧古武井小学校。2004年、函館市に編入された年、恵山町は東西に広い町の4つある小学校を統
http://oonoseiichi123.livedoor.blog/archives/42636760.html
さて、古武井(こぶい)の集落は古武井川の周辺にあります。道の駅「なとわ・えさん」を過ぎた国道278号線の左側には学校を示す道路標識が今も残っています。それが、今日紹介する旧古武井小学校。2004年、函館市に編入された年、恵山町は東西に広い町の4つある小学校を統廃合し、旧尻岸内小学校をえさん小学校と改名し、一つにしました。日浦小学校、古武井小学校、それとのちほど紹介する予定の恵山小学校、この三つの小学校は閉校となりました。地域の子供たちは、今では東西20kmもある広い地域からスクールバスで通学しています。古武井小学校もまた歴史がある学校です。明治10年というから1877年、この年西南戦争があった年です。西郷隆盛が明治政府から下野し、鹿児島で反乱を起こしたあの西南戦争です。そんな時代にすでに小学校は開校しています。だから、2004年(平成16年)3月31日閉校するまでその歴史は127年あった、ということです。恵山の歴史は、江戸時代の前半1660年4代将軍徳川家綱の時代、恵山(618m)の山頂にすでに航海や漁業の安全を祈願した恵山大権現が奉られていた、というから道内ではかなり古い。村の発展は、1720年(享保5年)6月、下北半島の佐井村から西村善次郎が来住してから、と恵山の歴史には出ています。が、考えれば、2000年前の縄文時代から人々は標高50mほどの高台に集団で竪穴式住居を構え定着しています。その証拠に貝塚も発見しているし、下北半島からはわずか20kmの距離、危険を冒して「しょっぱい川」の津軽海峡を渡って来た人は何人もいたはずです。