中瀬鉱山 概要・歴史
中瀬鉱山(なかぜこうざん)は兵庫県養父市(旧・関宮町中瀬)にあった鉱山。中瀬金山(なかぜきんざん)とも呼ばれる。
近畿地方最大の金山であり、特にアンチモンの産出量は日本一であった。
天正元(1573)年に発見。金山として稼行し寛永年間に最盛期となったが、出水の増加などにより衰退する。
1872(明治5)年に官営となるが稼行せず、1896(明治29)年に三菱合資会社に払い下げられる。
その後経営は転々とし、1935(昭和10)年に中瀬鉱業株式会社(現在の日本精鉱株式会社)による経営となり本格的な開発が薦められた。1943(昭和18)年にはアンチモン重要鉱山に指定され、太平洋戦争期、金鉱山整備令により国内の多数の金鉱山が閉山を余儀なくされる中でも操業を続けた。
昭和40年頃になり鉱脈が枯渇、採算性が悪化したため、1969(昭和44)年9月をもって閉山した。閉山後もアンチモンの製錬部門は輸入鉱石を原料として操業を継続した。
現在では海外からアンチモン地金を輸入し、三酸化アンチモン等のアンチモン製品の製造を行っている。
現役稼働しており廃墟ではないが、バッテリーロコ(蓄電池式機関車)など古い設備の一部が見学可能となっている。
痕跡を残しての再利用・一部現役・一部解体等、通常の不使用状態ではありません
2021-12-22