https://www.cafe-dragoon.net/trip/rosen/yamada_line/05_ooshida.html
(上り)上米内駅←大志田駅(廃止)→(下り)浅岸駅(廃止)JR山田線大志田駅(廃止)(Ōshida)※2016(平成28)年3月26日に廃止◆2008年10月12日(日)、2010年7月11日(土)、2016年11月6日(日)撮影開業:1928(昭和3)年9月25日所在地:岩手県盛岡市浅岸字大志田14キロ程:19.2km(盛岡起点)駅名由来その他下り(宮古方面)1本、上り(盛岡方面)2本しか停車しない、また道路アクセスも悪い、周辺に民家はわずかに2つ、まさに全国屈指の秘境駅。 なお、開業当初は、スイッチバックのための信号所で、乗客の乗り降りや荷物の積み卸しは出来なかった。しかし、当時は駅の北東10kmに宮内省直轄の外山御料牧場(現在は廃止)があり、そこで生産される木炭の積み出しや職員のための生活物資の搬入が必要であったため、宮内省の要請で普通の駅に昇格したと伝えられている。(参考サイト)http://www.morioka-times.com/news/2009/0906/07/09060704.htm駅名標(2010年7月11日(土)撮影)駅舎(待合所)(2010年7月11日(土)撮影)上り(盛岡方面)下り(宮古方面)右側へ逸れるレールはかつてのスイッチバックの名残で、現在は保線車両用に使われているようです。スイッチバック遺構枕木を再利用したホーム。「熊」注意の張り紙(((( ;゜Д゜))))カ゛クフ゛ルこの停車本数・・・日中の列車での訪問は事実上不可能なダイヤ。大志田駅からの眺め。現在2世帯が生活しているとのこと。隣の浅岸駅は0世帯になっているようです。廃止後(2016年11月6日(日))訪問時駅舎(待合所)跡待合所とホームは撤去されていました。(2016年11月6日(日)撮影)スイッチバックについてスイッチバックとは急勾配を折り返しながら登って急勾配をやり過ごすしくみのことで、道路では「つづら折り」とも言われる。ここ上米内~区界間は急峻な山岳地帯を通り、傾斜は最大25パーミル(1,000メートル進むと25メート...であった。そのため、現在の大志田駅と浅岸駅にスッチバックを設けた。近年は電車の馬力向上によってスイッチバックは全国的に不要になりつつあり、この大志田駅でも1982(昭和57)年11月25日に撤去された。この大志田駅と浅岸駅のスイッチバック構造は酷似しており、さながら双子のような関係である。スッチバック時代の大志田駅の概要現在の大志田駅の概要航空写真(昭和52年度撮影 縮尺1/15,000 写真上が北)国土情報ウェブマッピングシステムよりhttp://nrb-www.mlit.go.jp/webmapc/mapmain.htmlhttp://nrb-www.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=CTO-77-5&PCN=C1&IDX=4宮古側にあるスイッチバックとかつての駅舎跡。いまでも線路とホーム跡が残されています。段差を発見。たぶんホーム跡で、旧駅舎があったと思われます。(2010年7月11日(土)撮影)草むらの中にホームを発見。(2010年7月11日(土)撮影)かつて左側の一段高くなった空き地に駅舎があり、中央の階段は駅舎出入り口へのもののようです。(2016年11月6日(日)撮影)こちらは盛岡側。線路右側に草むらに覆われた上り坂になっている路盤のようなものが見えますが、これは加速線の跡と思われます。(2016年11月6日(日)撮影)(番外編)上米内駅から大志田駅までの風景大志田駅までのアクセス方法は二つあって、上米内駅から舗装された林道を通るルートと、国道455号線の盛岡市藪川から未舗装ダート路の県道204号線を通るルートがあります。ちなみに今回の上米内駅からルートは、舗装はされているものの自動車1台がようやく通れる幅しかないので、対向車が来れば所々に設けられている待避スペースですれ違うしかありません。石造りの趣のある橋脚昭和初期の建築。明治期のレンガ造りから大正期のコンクリート造りへ移行していますが、ここでは石積みのようです。この周辺は自動車1台がようやく通ることが出来るダート路です米内川の清流の音が何とも心地よいです。TOP>旅の記録>路線各駅巡礼写真のページ>JR山田線(岩手県)>大志田駅(廃止)(岩手県)
http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/ooshida.htm
2000/2/25 作成大志田駅 山田線の“大志田駅”は下り2本、上りはなんと1本しか停車しないという酷い扱いであるこの駅も隣の“浅岸駅”同様に元スイッチバック駅であり、こちらには駅本屋へ向かう錆付いた鉄路が残っていた 大志田駅へと進入する 保線小屋があるので側線が残っているのはその為か? ホームは以外に長く、小さな待合室がある 周囲に人家は1~2軒 住んでいるのかは不明である 駅から発車し、右手に昔使っていたスイッチバックの加速線を横目に加速する 訪問日記 1997年8月?日 訪問 1995年の8月某日、私はオフロードバイクで東北は北上山地にある林道群を走破すべく、山田線に沿って走る全線フルダートの“米内川林道”をトレ ースしていた。隣の“浅岸駅”の訪問を終えた後、次に訪れたここ“大志田駅”であった。道のりは深い森の中をダートの林道がクネクネと曲がり、相当 な走り応えがあったため、ここでも休憩することになった。やはり先程訪れた“浅岸駅”と非常に良く似ている。兄弟駅というか双子駅と言っても良いぐ らいで、両駅とも開業は1928(昭和3)年9月25日、スイッチバックの廃止も1982(昭和57)年11月15日のまったく同日で運命共同体というべき存在であ る。かつて、ともにスイッチバック駅として、駅員がいた華やかな時代を経て来てはいるが、今ではそれらの設備も取り払われ、駅舎も解体されて跡形 もない。現在では勾配上に一面一線のホーム、そして一人か二人入ると満員になってしまいそうな、小さな待合室が設置されているに過ぎない。さら に駅の周囲には2軒の人家しかなく、深くて暗い山林が広がっている中をダートの林道が通じているだけという凄まじさ。おまけに普通列車さえも通過 してしまう方が多い有様だ。 訪問当時、昼時になったのでホーム上でカップラーメンを食べた。辺りに人影は無く列車もやって来なかった。実に長閑な一時を過ごし、ダート走りに 熱くなっていた体をクールダウンすることができた。その後、岩泉線沿いの国道などに進んだが、更に凄い秘境駅である“押角駅”などを当時は知る 由もなく、駅の脇を通る国道をあっさりと通過していたのであった。 再訪日記 2000年2月20日 列車内より停車中に観察 朝一番の山田線、トンネルに入る際、“つらら”を折っていく音がする。浅岸駅を発車した列車は人家も一切見当たらない深い山中をひた走り、未舗装 の林道を横目に見ながら、この“大志田駅”へとゆっくりと到着した。駅の周囲は人家が2軒。脇にある保線小屋と、その昔使っていた駅本屋へと向か う側線が残されている。列車交換駅としての役割は今日の列車本数の状況から、すでに終えている状態である。十数秒ほど停車した後、そそくさと タイフォンを鳴らし、エンジンを唸らせながら発車していく。右手側にZ型スイッチバックの加速線の遺構を見る。使われていた当時のSLには必要不可 欠な設備だったのであろう。そんなことを思いながら山深いトンネルに突入していった。 (補足)その後、2回ほど訪問しましたが、状況はほとんど変わっていません。充分に楽しめる秘境駅だと思います!
https://blog.goo.ne.jp/tosizo_1975/e/e622d4ce2b729b1af988174c1d8b4cf9
存在だけは知っていました。ものすごい山奥にある駅だということで。しかし、行ったことはなかったです。山田線、乗りませんし…(たいがい車で移動)いつかは山田線も乗ってみたいなあとは思っていましたが…。こんな新聞記事が出たら、見に行かないわけにはいかないじゃないですか。で、いってきました。