奥多摩工業日原寮 概要・歴史
世帯寮、独身寮、映画館とダンスホール
奥多摩工業日原寮は、東京都西多摩郡奥多摩町にある寮跡。日原小学校の西側に位置する。
鉄筋コンクリート製4~5階建てアパート3棟とヴォールト屋根が特徴的な建物の計4棟からなる建物群で、アパート2棟とヴォールト屋根の建物が集落の中腹に、4階建てアパートが1段上に建てられている。一番南の建物が世帯寮、ヴォールト屋根の建物が映画館とダンスホール、一段上のアパートが独身寮で、1階部分にスーパーマーケットがあったという。1958(昭和33)年7月に建てられ、当時の青梅市・西多摩郡で最初の鉄筋コンクリート製の建物だったらしい(※参考「来さっせえ奥多摩」第28号)。
奥多摩工業は現役企業であり、1946(昭和21)年から石灰石の採掘・販売などを行っている。
無住となった時期は定かではないが、残留物が1973(昭和48)年頃の物までとなっているため、この時期頃から不使用になったと推測される。一方で一番南側の5階建てアパートは2007年時点で「2、3世帯が暮らしている」との情報があり、2012年の電話帳でも個人名で一世帯登録されているため、一部は比較的近年まで使用されていたらしい。
2023年2月時点ですべての棟が無住となっており、独身寮1階部分は不法投棄が目立つ。経年劣化による外壁損傷も激しく、鉄筋がむき出しになっている箇所も散見され、非常に危険な状態である。内部も全体的に損傷が激しいが、落書きや人的破壊の跡は見られず、ヘルメットや裁縫道具、足踏み式ミシンなど、当時使用されていた物品が多く確認できる。また一部の部屋は石灰らしきもので白っぽくなっている。
それぞれ建物の前に立ち入り禁止ロープ・フェンスが設置され管理されている。
なお、日原集落への唯一のアプローチである「旧都道204号(日原街道)」は道幅が狭くカーブが多いうえ、鍾乳洞へ行く車が多いため「都内最狂の道路」等と言われている。