聖仁会小川病院(小川脳病院) 概要・歴史
藪に没した木造廃精神病院
聖仁会小川病院は、茨城県小美玉市倉数にある病院跡。「小川脳病院」とも通称され、「O病院」「小〇脳病院」「小川精神病院」と紹介されていることもある。
空中写真から1962~1965年頃に建物が建設されており、1969年に聖仁会小川病院として登記されている。
木造平屋建ての長細い建物2棟が逆コの字に接続された構造だった。
当時の広告には、外科、内科のほかに精神科があること、また「入院設備あり」と記載されている。
この時期の聖仁会の理事に笹目干城という人物があり、理事になる前に石岡市でPTA役員に名が残っているため、この立地に病院が建設されたことと関係がった可能性がある。
閉院時期不明ながら、1977年に閉院したと言われており、1982年の空中写真では建物の周りが雑草に覆われている。2000年代頃には既に朽ち果てた状態となっている。このことから、1960年代後半に開院し、診療期間は1970年代後半までの10年程度だったと考えられる。
心霊スポットなどと言われ「戦時中に人体実験が行われた」等の噂があるが、同施設が設置されたのは戦後の1960年代であり、根も葉もない風説の類に過ぎない。通称にある「脳病院」の呼称も戦前の用語であり相応しくない。
2022年12月時点で現存するが、元々南側を回るように付けられていたルートは完全に藪に没し、道跡のほとんどに数メートル先も見えないほど竹などが茂り、アクセスは非常に困難になっている。
建物はほとんどの床が抜けて梁が剥き出しになっているほか、多くの箇所で壁面が崩落、倒壊寸前となっている。
比較的広い病室と、重症患者を隔離するためだったらしい座敷牢のような狭い部屋があり、後者は壁の高い位置に小さな窓が穿たれている。
中央付近には患者を殺菌消毒するためだったと言われる「ホルマリン風呂」の痕跡がある。