札沼線(新十津川~石狩沼田) 関連ブログ・参考リンク
http://www.geocities.jp/xxreport2/repo/sassy.html
徳富川に架かる水管橋がかつての鉄橋を再利用したもののようだが、その他の大きな 橋梁跡はない。ただ、沼田町内の畑の中には短いコンクリート橋がそのままに残されて いる。 札沼線は現在では学園都市線と愛称が付けられ、沿線住民の通学・通勤の足
http://www1.linkclub.or.jp/~okutomo/repo/sassy.html
1943.10.01 石狩月形~石狩追分休止 1944.07.21 石狩当別~石狩月形、石狩追分 ~石狩沼田休止 1946.12.10 石狩当別~浦臼再開 1953.11.03 浦臼~雨龍再開 1956.11.16 雨龍~石狩沼田再開 1972.06.19 新十津川~石狩沼田部分廃止 札沼線 は
http://www.tetsuroni.jp/haisen/sassyou1.html
1972(S47)年6月19日廃止(新十津川~石狩沼田). 札幌~石狩 札沼線に乗りに 行ったついでに新十津川付近に廃線跡が残っていないか調査してきました。 新十津川 駅から この時点では「鉄道廃線跡を歩くⅧ」が出ていなかったので手探り状態でした。
http://www.geocities.jp/hr_hokkai/satsu.html
~札沼線・新十津川-石狩沼田間~. 札沼線の新十津川~石狩沼田間は72年6月に 廃止されました. ほとんどが畑になっていて、痕跡をたどるのが難しいです。 廃線跡を新 十津川方から追ってみました。 探索履歴. 第一回目:2002年4月. 下徳富駅の駅舎(02
http://www.tetsuroni.jp/haisen/sassyou2.html
2000年8月27日 札沼線に乗りに行ったついでに新十津川付近に廃線跡が残っていないか調査してきました。 で線路が不通になり、それまでの利用状況が芳しくなかったので復旧をせず、そのまま新十津川~石狩沼田間が廃線になってしまった経緯がある。
http://kitagawa.tv/travel/haisen/c/sasshou.htm
線名:札沼線(さっしょう・せん) 区間:桑園(そうえん)-石狩沼田(いしかりぬまた) 111.4Km 全駅:[廃止された区間のみ]新十津川-石狩橋本-上徳富-北上徳富-雨龍-石狩追分-胃津-和-中ノ岱-碧水-北龍-五ヶ山-石狩沼田開業:1931年10ツ黴
http://cnlilac.blogspot.com/2015/10/blog-post_14.html
JR北海道が来年3月のダイヤ改正で、札沼線(学園都市線)の浦臼―新十津川間(13・8キロ)について、現在の1日3往復から1往復に減便する方向で調整していることが29日、分かった。利用客が少なく今後 札沼線は桑園から伸びる路線だが、桑園に来る列車は札幌に必ず乗り入れるため、実質札幌からの路線である。7:02発の石狩当別行きに乗車。 721系電車での 車止めの先はアパートになっているが、1970年代まではここから留萌本線の石狩沼田まで線路が続いていた。札幌と石狩沼田を
http://blog.livedoor.jp/catalytic/archives/52259138.html
昭和47年6月に廃止された、札沼線の末端区間(新十津川~石狩沼田)にある、渭ノ津駅(いのつ、雨竜郡雨竜町)です。 渭ノ津という地名に聞き覚えがあり、先月も道内をレンタカーで回った際、突然思いついて立ち寄りました。 廃線にほぼ沿っ
http://mousoukiko.blog.fc2.com/blog-entry-264.html
石狩当別を走るJR札沼線は、札幌からこの石狩当別のひとつ先、北海道医療大学駅までは電化もされ『学園都市線』なんて通称名もあったりして、列車の本数も比較的多いのですが、その先は列車の本数がガクッと減り、昔ながらのディーゼルカーが走る区間となります。 P9195916 (640x480) 特にこの先の浦臼から終点の新 新十津川は、今はこうして終着駅となっていますが、1927年まではこの先、留萌線の石狩沼田駅まで線路がつながっていたのでした。だから札沼線(札幌と沼田)というのです。
http://mdsch23books.blogspot.com/2014/11/blog-post_19.html
新十津川町図書館. JR札沼線の終点駅ですが本来は石狩沼田駅まで通じていたもの。戦中はレールを他で転用する為に休止路線とされ、戦後は再開通させたものの結局1972年に新十津川縲恊ホ狩沼田区間は廃止になったという経緯をたどった路線です。 廃止された区間を探して新十津川町を歩くと町中は 北海道鉄道廃線区間についてまとめられた本を見ても現在水道用に転用されているとの記述しかなく、何故1981年竣工の橋桁があるのか理由が分からない。 徳冨川水道橋(旧国鉄札沼線橋梁).