丸山水力専用鉄道(まるやますいりょくせんようてつどう)は岐阜県加茂郡八百津町と可児郡御嵩町の境に...

丸山水力専用鉄道

丸山水力専用鉄道 概要・歴史

丸山水力専用鉄道(まるやますいりょくせんようてつどう)は岐阜県加茂郡八百津町と可児郡御嵩町の境に...
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丸山水力専用鉄道 関連ブログ・参考リンク

http://blogs.yahoo.co.jp/team_kokudo_yuji/27702502.html
丸山ダムから県道358号線をすすみます。 358から381号線で旧名鉄八百津線までは丸山ダム建設の時にひかれた鉄道の廃線あとらしい。 カーブが緩やかで走りやすいけど対向車に注意。 トンネルなんかもろ鉄道してます。 中で分岐して 
http://soleil1969.dip.jp/ruinstop/yao/yao003.html
開 通 1930年10月, 区 間 明智 ~ 八百津 7.3km, 廃 止 2001年10月1日. 調査・撮影 ⑯ 昔鉄道と駅があったなんて思えない程変化した八百津駅跡。 ⑰ 廃線直後の駅のホーム, ⑱ 八百津駅のダム建設線(丸山水力専用鉄道)の貨物ヤード跡。 ⑲ 在りし日のツ黴
https://www.hotetu.net/haisen/Tokai/160116maruyamasuiryokusenyoutetudou.html
更新日時 2016年04月19日 丸山水力専用鉄道は、かつて岐阜県加茂郡八百津町と可児郡御嵩町の境の、木曽川丸山ダム建設のために敷設された、関西電力の専用鉄道である。木曽川に丸山ダム建設が計画された際、国鉄太多線広見駅(現・可児駅)から東美鉄道(後に名古屋鉄道に合併)の広見線、八百津線を経由して資材を運搬することとなり、八百津線の終点である八百津駅から工事現場まで延長線が建設された。これが丸山水力発電所工事用専用鉄道、すなわち、丸山水力専用鉄道である。八百津 - 錦織間を13分で結び1日8往復(但し貨車なき場合は運休)最盛期の1953年3月から10月は月1万トン(貨車数700 - 800)を超え運転回数は140-150回となった。錦織停車場で扱った貨物の合計は1952年3月から1954年5月まで貨車数10,548両、重量159,690トン(内セメント142,143トン)であった。加藤製作所の7トンディーゼル機関車4両(製造番号27755-27758)1952年8月落成。製造番号27757は那珂川清流鉄道保存会で現存。錦織駅側線に平行してセメント倉庫(1062坪)を建築。貨車床面と倉庫床面を一致させ複数の貨車の積卸を同時に出来るようにした。八百津駅 - 錦織駅間は名古屋鉄道が運行し、旅客(工事関係者のみ)運行も行なっていた。丸山水力専用鉄道駅一覧八百津駅 - 錦織駅 - 丸山発電所⑲名古屋鉄道八百津線の伊岐津志駅 - 八百津駅間の廃線跡。⑲八百津駅跡と書かれているが駅構内だが八百津駅はもう少し先。 ⑳八百津駅(やおつえき)は、岐阜県加茂郡八百津町伊岐津志にあった、名古屋鉄道八百津線(廃線)の駅である。八百津町の中心地からはやや離れていて、木曽川を渡った対岸に位置していた。路線廃止に伴い、2001年(平成13年)9月30日限りで営業を終了し、翌10月1日に廃駅となった。廃線までは御嵩町に向かう広見線と八百津町に向かう八百津線が、明智駅(旧伏見口駅)において2つの線に分岐しており、当駅は長らく八百津線の終着駅であった。プラットホームは1面1線のみ...織駅 - 丸山発電所間の廃線跡。丸山発電所側の坑口。⑯丸山発電所へはインクラインになっていたようだ。⑯発電所の建物内までレールが延びている。⑯丸山発電所の導水管。近くで見ると大きさに圧倒されます。⑯丸山発電所の発電後の排水路。⑰丸山水力専用鉄道の錦織駅 - 丸山ダム間の廃線跡。蘇水峡トンネルダム側の坑口。⑱丸山水力専用鉄道の錦織駅 - 丸山ダム間の廃線跡。⑲丸山水力専用鉄道の錦織駅 - 丸山ダム間の廃線跡。⑳丸山水力専用鉄道の錦織駅 - 丸山ダム間の廃線跡。①丸山水力専用鉄道の錦織駅 - 丸山ダム間の廃線跡。 ①丸山ダム(まるやまダム)は、岐阜県加茂郡八百津町と可児郡御嵩町との境、木曽川水系木曽川に建設されたダム。高さ98.2メートルの重力式コンクリートダムで、洪水調節・不特定利水・水力発電を目的とする多目的ダムである。戦後の大ダム建設の先駆けとして大規模かつ本格的な機械化手法を全工程で行い、後の日本土木技術のいしずえとなった。現在は国土交通省中部地方整備局と関西電力とが共同で管理している。ダム湖(人造湖)の名は丸山蘇水湖(まるやまそすいこ)という。工事に必要な資材を運搬する丸山水力専用鉄道の敷設や、ダム完成に伴い水没する上流の下立(おりたち)地区の集落32戸ならびに農地約24ヘクタールの行方など諸条件は整えられ、1952年(昭和27年)から本体工事に着手し、1955年(昭和30年)に完成した。同時期には丸山ダム下流で丸山発電所が運転を開始し、ダム湖右岸より水を取り入れ最大12万5,000キロワットの電力を発生。さらに1971年(昭和46年)には新丸山発電所(6万3,000キロワット)が新たに増設されている。2発電所の合計最大出力は18万8,000キロワットにものぼり、これは揚水発電を除いた一般水力発電所としては日本国内でも屈指の規模である。戻る Copyright (C) 2008-2019 hotetu.net All Rights Reserved外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『八百津町』を掲載」
http://www.soleil1969.com/ruinstop/yao/maru.html
  ◆ 簡単スペック  開    通 1953年 7月区   間   八百津 ~ 丸山発電所 4.1km廃  止  1954年 5月31日 調査・撮影  2001年10月 参    考 名鉄の廃線を歩く(徳田耕一氏)  この路線は、丸山ダムと発電所を建設する際に作られた路線のようだ。起点としては名鉄八百津線八百津駅からになるようだが、貨物車両としてはJR太多線の可児駅から運行していたらしい。  最終更新日 07/05/15  簡易路線図① 廃線直後の名鉄八百津線八百津駅のホーム跡② 八百津駅のダム建設線(丸山水力専用鉄道)の貨物ヤード跡③ 在りし日の八百津駅跡。③  レールの切れ目がローカル色を強く出している。この切れ目から先は丸山水力専用鉄道になっていったようである。④ すっかり様変わりしてしまった八百津駅構内。この道路が③の左にある道路。丸山水力発電所方向⑤ 中央左の道が廃線跡。⑥ 石垣が時代を感じさせる山肌に沿った道路が、発電所建設路線。ほとんどが舗装されており、まったくわからない。⑦ 名鉄の敷地境界票があるが、何故かあたらしい・・・⑧ 錦織地区を八百津方向に延びる廃線跡。この区間(八百津-錦織)は電化区間だったそうだ。⑨ 八百津大橋です。特に廃線って訳ではなにのですが・・・この辺り(手前)に錦織駅(発電所工事従事者用宿舎などに利用)があったそうだ。⑩ 蘇水峡橋。これもオリジナルなのだろうか?幅も結構あるので、ひょっとしたら付け替え後の鉄橋かもしれない。⑪ 蘇水峡橋を進むとトンネルがある。左に丸山発電所、右に丸山ダム方向となっており、トンネル内で分岐がある。⑫ ⑪のトンネル入口出口ではなく、その左口になる。発電所へのアクセス路線用トンネル。⑬ ⑫のトンネルから発電所へ延びる廃線跡。レールが撤去されずそのままアスファルトに埋められている。(中央)⑭ 発電所へ延びる路線跡。間に合わせ的に処理してあるが・・・⑮ ⑪の丸山ダム方向のトンネル出口。⑯ 丸山ダムまでの廃線跡。ガードレールには森林鉄道跡で良く見かけるレールを使用しているようです。(ダムから八百津方向をみています。)   ▲このページのトップへ戻る   Index / Top  Copy right 2007 Studio Nikudango. All rights reserved.
https://nishimiyaushiro.web.fc2.com/haisen/maruyama.html
丸山ダム建設専用線丸山ダム並びに丸山水力発電所は戦時中に建設が開始され、戦況悪化による工事中止、戦後の工事再開を経て1955(昭和30)年に完成しました。 丸山ダムは当時では国内最大のダムで、建設時には名鉄八百津線(2000(平成12)年9月30日廃止)八百津駅から専用鉄道もありました。専用鉄道は戦時中のダム建設開始時には建設が開始され、工事中断時には路盤も大部分が完成していたと言います。 戦後発電所建設が再開されると線路の工事も再開され、1952(昭和27)年3月に非電化で八百津~錦織が開業。 同年9月には電化され、関西電力の私有30t電機デキ250形2両が新広見(現在の新可児)~八百津~錦織で資材輸送列車を牽引するようになりました。 さらに1953(昭和28)年7月には錦織~丸山ダムの延長線が非電化で開業しています。 錦織へは主に磐城セメント(現大阪住友セメント)七尾工場や小野田セメント(現太平洋セメント)藤原工場から袋詰めセメントが到着しています。 有蓋貨車で錦織停車場に到着した袋詰めセメントは索道(貨物用リフト)に載せ替えられてダムサイトや発電所の工事現場へ送られていました。 丸山ダムへの延長線は主に機材輸送に使われていたようです。鉄道輸送は1954(昭和29)年5月31日で終了、デキ250形2両はそのまま名鉄へ譲られました(詳しくは名鉄機関車列伝のデキ250形の項をご参照下さい)。錦織~丸山ダムの延長線やセメントミルク輸送軌道で使われていた加藤7tDL(3両以上?)もまだ新しかったので転属したものと思われます。 内1両は最終的に伯備線総社駅の専用線に移ったらしく、それと思しき機関車が奇跡的に現存しています。→地図今は懐かしの名鉄八百津線。 八百津駅をキハ30が発車するところです。 末期は側線も撤去され棒線化されていましたが、丸山ダム建設時には側線群が広がっていました。 錦織まで重量貨物列車を走らせるため、広見・新広見駅の連絡設備増強、八百津線兼山駅に交換設備を追加したり、八百津駅前には変電所も増設され活況を呈していたようです。2009年時点での八百津駅跡・・・すっかり住宅地化してし...側のコンクリートプラントからセメントミルクをダムサイトへ運ぶための鉄道で、こちらでも加藤7tDLが使われていたそうです。 現在でも路盤の平場と建物基礎は残っていますが、あまりに分かりづらいので割愛します。木曽川左岸のコンクリートプラント跡。 新丸山ダム建設に伴う付け替え道路が砂利を篩分ける塔達の真ん中を貫くようになりました。 全長3000mを超える大久後トンネルを抜けてくるとこの異様な光景が広がります。 しかし何よりこの新しい付け替え道路は立派な割に通行量が少ないのが気になります。 因みにこの道の突き当たり(前方の木立の辺り)がセメントミルク輸送軌道の起点なのですが何も残ってません。ダムから離れて木曽川右岸の旧国道418号線へ。 現在は立派な新道ができたため国道指定を解除されているようです。 ここに油皆洞橋という橋が架かっているのですがこの橋はどう見ても鉄道橋の転用ですね。 明治時代のイギリス製と思われますが銘板が残ってないのでいつどこで造られたかもどこの路線から転用されたのかも分かりません。 1954(昭和29)年12月竣工とあるのでダム発電所工事関連で架けられたのは間違いないでしょう。油皆洞橋についてですが、「丸山発電所工事誌」に気になる記述がありました。 専用鉄道開業前に短期間道路輸送で建設資材を運んでいたそうです。しかしこれは従前の里道を使ったもので、舗装などされていない狭い道を大きなダンプカーが行き交ったものですから周辺の住民は堪ったものではません。 というわけで工事事務所には苦情が絶えなかったそうです。関西電力ではこれを反省として道路輸送時には事前に道路整備をして輸送の改善&地元への補償を行うことにしました。 ダムが完成すると専用鉄道は撤去されるので、以降の資材輸送や人員の移動には再び道路を利用することになります。 恐らくこの道路整備の際に油皆洞橋も架け替えられたのでしょう。参考:丸山発電所工事誌 総括編(関西電力株式会社編) 丸山発電所工事誌 仮設備編(関西電力株式会社編) 名鉄の廃線を歩く(徳田 耕一 編著 JTBキャンブックス) 写真が語る名鉄の80年(名古屋鉄道株式会社編)撮影日 2000.08.??2006.05.152009.01.032009.09.262009.12.18戻る
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