相模海軍工廠(西寒川駅) 関連ブログ・参考リンク
http://yuusuke320.blog115.fc2.com/blog-entry-1758.html
相模海軍工廠跡の旧国鉄西寒川駅跡地に建つ碑が目に付きました。 実はこの支線は大正11年5月10日の本線開業時から存在しており、西寒川駅の先に四之宮駅があり、500m先まであったのだ。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kaigun-tec-sagami.htm
2011年10月15日 昭和17年 相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学 実験部になる. 昭和20年 相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・ 勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として. 化学兵器・火工
http://pottering.blog9.fc2.com/blog-entry-2619.html
、 一之宮公園をさらに進むと八角広場と呼ばれる小さな公園があり、枕木、敷石とレールが残されています。 ここが西寒川支線の終点であった西寒川駅の跡地。 八角広場の片隅には、旧国鉄西寒川駅、相模海軍工廠跡と書かれた記念碑があります。
http://ameblo.jp/bashi-heppoko/entry-12018222525.html
その発見場所から程近い場所に相模海軍工廠の建物が残っているようなので行ってみました。 では写真を。 某企業内にある当時の建物と思われるもの。敷地外の金網外から見える範囲内での物です。木造、トタンの建物。当時の建物なのか
http://hidsby.blog112.fc2.com/blog-entry-282.html
JR相模線(橋本~茅ヶ崎)は首都圏の鉄道としてはローカルな感じがする、単線でドアの開閉は半自動式だ。その茅ヶ崎寄りの「寒川」駅から、砂利取り用の支線がかつてあり、1942年(昭和17年)に「相模海軍工廠」ができて軍事用の支線と
http://ameblo.jp/tatemonoxxx/entry-10760514928.html
製造しており、この倉庫群にはそういったガスが保存されていたと. いわれています。 前身は、平塚の海軍技術研究所です。 もともとは昭和産業という会社の工場だったそうですが、1940年頃. 国に買収され相模海軍工廠となりました。
http://8tagarasu.cocolog-nifty.com/sakamitisannpo/2010/07/post-5c23.html
梅雨明けかと思わせるような、ぎんぎらぎん照りの下を相模川を越え、中原御殿跡から東海道平塚宿まで歩く。 写真をクリックすると拡大し 線路の一部が残る。ここは相模海軍工廠跡で2002年に化学兵器(毒薬)が発掘されて話題となった。