小阿仁森林鉄道は小阿仁川とその支流沿いに敷設されていた森林鉄道。 1915(大正4)年に小沢田~朦沢間...

小阿仁森林鉄道(堂川隧道)

小阿仁森林鉄道(堂川隧道) 概要・歴史

小阿仁森林鉄道は小阿仁川とその支流沿いに敷設されていた森林鉄道。 1915(大正4)年に小沢田~朦沢間...
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小阿仁森林鉄道(堂川隧道) 関連ブログ・参考リンク

http://yamaiga.com/koneta/koneta_138.html
これまで「山さ行がねが」および「日本の廃道」においては、小阿仁林鉄とその支線に関して7本のレポートを掲載した。(右の地図はクリッカブル 従来、隧道のような “おもしろいもの” は何も無いだろう考えられていた小阿仁林鉄中間部。 そこでの隧道発見の報ツ黴
http://yamaiga.com/koneta/koneta_138_2.html
2007/12/7 15:12 我々が切り通しとなった「堂川一号隧道」の探索から「2号隧道」南口前に戻ると、ちょうどそこに一人の老婆が通りかかった。 堂川の住人であろう。 まずは細田氏が接触。 LAWSONで鍛えた私を凌駕する、NI
http://www.hotetu.net/haisen/Tohoku/080307koanirintetu.html
秋田の小阿仁森林鉄道は材木の損傷や計画的輸送の困難などの理由から、河川運材の限界を克服するために導入されていた。小阿仁森林鉄道は、米代水系阿仁川最大の支流である小阿仁川の源流部から、阿仁川と合流する合川町増沢
http://yamaiga.com/rail/minamisawa/main.html
 小阿仁森林鉄道 南沢~中茂口秋田県北秋田郡上小阿仁村探索日 2007.10.30公開日 2007.11.31/2/3/最終回/ 目次 表紙 2007年8月末、当サイトの情報提供フォームより、「アルト」と名乗る人物から一件の情報が寄せられた。subject: 南沢トンネル下のトンネル 秋田県北秋田郡上小阿仁村 南沢 付近で南沢トンネル脇の旧道下にトンネルがあります。 15年前釣りをしていてみたことがあります。 覗いてみると、15~20Mくらいあったと思います。 既に秋田を離れて半年を経っていた私には、事の真偽を直ぐに確かめることは出来なかった。しかし、この上小阿仁村南沢の一帯は、私にとっても大変なじみの深い場所であり、一通りの旧道や廃道について把握しているという自負があった。にもかかわらず、トンネルがあるというのである。 未知のトンネルは2本しか残していないと自負して離れた秋田に、謎のトンネル情報。しかも情報提供者の遭遇も約15年前という。近年の状況については、この情報からは伺えなかった。一体それはどのようなトンネルなのか、道路のものなのか、或いは林鉄のものなのか。 この10月末に引っ越し以来初めて秋田を訪れた私は、さっそく細田氏とともに現地へ急いだ。谷底に潜む 未知のエリア上小阿仁村 南沢トンネルの旧国道から 2007/10/30 13:18 現地は、秋田県中北部を占める北秋田郡に唯一残された自治体である上小阿仁村の山間にある。この村は県都秋田と県北部の大館地方、さらに青森県とを結ぶ最短ルート上に位置し、古くは「五城目街道」が、現在は国道285号が村を縦断する交通の要衝である。また、広大な村域の9割以上が山林で占められており、著名な天然秋田杉を始めとする豊富な森林資源に恵まれるため、明治以降林業に依存した村政を行ってきた。村内には昭和40年代まで盛んに利用された森林鉄道の跡が散在している。 このように山間部でありながら、国道や林鉄といった交通ファクターに密着してきた村ゆえ、多くの“廃道”も残されている。『山いが』としても、以前の自宅からそう...。初の帰郷というこのタイミングで、まさかこれほどの「取りこぼし」物件に遭遇するとは。…しかも、さして人里から離れた場所でもない。 この発見の感動と衝撃は、ここ数年の内で最大級だったと言って良い。だが、鉄橋発見の興奮そのままに、次なる衝撃が視覚より進入!私の脳幹を打ち据えた!! 隧道だッ!あわわわわ。鉄橋がそのまま黒い穴へと突き刺さっている!情報提供者も、お人が悪い!鉄橋の事など、少しも書かれていなかったじゃないかッ。「鉄橋→隧道」の“林鉄スペシャルコンボ”!!こんなものは、森吉林鉄の5号橋梁と7号隧道(※)以来かも知れない!我々が遭遇したものは、小阿仁森林鉄道の未知の遺構群! 二人は長靴の中を濡らさないように、飛び石伝いで朦沢を渡った。そして、対岸の氾濫原である笹原を突破し、築堤の上にある橋の袂へと迫った。近づくと、いよいよ赤錆色の躯体は迫力を増してきた。その巨大さが実感される。全長は25mほどだろうか、中央に一本だけ華奢な感じの橋脚が立っており、大重量の鋼製ガーダー桁を支えていた。 右の写真は、我々が最初に辿り着いた右岸の橋台の様子。かなり風化してはいるが、橋台はコンクリート、ウィングは丸石練り積みであった。 また、そこでは間近に支承部を見ることが出来る。(写真上)これは「線支承(小判型)」という形式だろうか。 13:42 異常に興奮した状態のまま、我々はついに橋の袂へと達した。 これから、この橋を渡って隧道を目指すことになろう。 しかし、渡れるだろうか…。まだ、一部枕木も残っているが、何の足しにもならなそうだ。それに、なんというか、 …セッ せッ  狭いッ!次回は、この小阿仁林鉄の簡単な素性を紹介するとともに、この橋を渡って先へと進む。 お読みいただきありがとうございます。当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口このレポートの最終回ないし最新回の「この位置」に、レポートへの採点とコメント入力が出来る欄を用意しています。あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。【トップページに戻る】 第2回へ