三井砂川炭鉱(みついすながわたんこう)は北海道空知郡上砂川町にあった炭鉱。 1887(明治20)年に石....

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名称 三井砂川炭鉱
住所 北海道空知郡上砂川町本町
種類 廃鉱・採石場跡
北海道の廃鉱・採石場跡
スコア
50
現況 現存
評価 ■■
画像 photos 三井砂川炭鉱の写真

三井砂川炭鉱 概要・歴史

無重力実験センターになるがそれも閉鎖

三井砂川炭鉱(みついすながわたんこう)は北海道空知郡上砂川町にあった炭鉱。

1887(明治20)年に石炭層が発見され、1896(明治29)年に北海道炭礦鉄道により上砂川地区初めての炭鉱が開坑、これが三井鉱山により本格的な炭田調査が始められる。1914(大正3)年に三井鉱山により砂川鉱業所創設、大規模な開発が開始され、1918(大正7)年には石炭運搬のために砂川-上砂川間に鉄道敷設された(のちの函館本線上砂川支線、1994(平成6)年に廃止)。

戦中は軍需需要により生産量が増大、戦後1960年代からは大深度からの採炭を進めて生産性の向上が図られた。

1973(昭和48)年、三井鉱山から石炭部門が分離独立し三井石炭鉱業株式会社が設立される。

1987(昭和62)年7月14日、砂川鉱業所が閉山。

1991(平成3)年に立坑を利用した地下無重力実験センターJAMIC)が財団法人宇宙環境利用推進センターにより開設されたが、2003(平成15)年に閉鎖され、第一立坑櫓は撤去された(中央立坑櫓は現存)。

2018(平成30)年9月現在、実験センターの塔が遠方からでも目をひく状態で残る。建物自体は綺麗な状態で管理されている。

また、ボタ山の下には巨大な坑口が2ヶ所埋もれているという。

三井砂川炭鉱 画像

三井砂川炭鉱(2018年9月)
三井砂川炭鉱(2018年9月)
© 2021 廃墟検索地図 Haiken 転載禁止
三井砂川炭鉱
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三井砂川炭鉱
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三井砂川炭鉱 関連ワード
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