福住炭鉱は、北海道赤平市にあった炭鉱。 採掘期間は1955(昭和30)年~1964(昭和39)年と短かった。....

福住炭鉱

福住炭鉱 概要・歴史

福住炭鉱は、北海道赤平市にあった炭鉱。 採掘期間は1955(昭和30)年~1964(昭和39)年と短かった。....

福住炭鉱 画像

福住炭鉱のホッパー(2019年7月)
© 2019 廃墟検索地図 転載禁止
福住炭鉱のホッパー(2019年7月)
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近くのスポット

福住炭鉱 ストリートビュー・空中写真

福住炭鉱 関連ブログ・参考リンク

http://blogs.yahoo.co.jp/pndcy047/25665755.html
一箇所目は赤平福住炭鉱から!パンダちゃんは健在でした。 いつも思うけどこのうえからでてきているのは何なのか?セメント?けど固まってない・・ メンバーはいつもながら目を輝かせています 選炭場全景 現役時代の写真。
http://www.asahi-net.or.jp/~re4m-idgc/FUKUZUMI.htm
田園地帯に静かに眠る福住炭鉱田園地帯の奥に残る遺構赤平市住吉町の農村地帯の一角にあった日本炭業が運営した炭鉱です。昭和30年~39年という短い期間の命の中小炭鉱でした。日本炭業は大手炭鉱の隙間を突くような性格の会社で九州、北海道の炭鉱を数ヶ所経営していました。
https://burasorabeka-n.blog.so-net.ne.jp/2009-08-28
070724掲載旧タイトル「赤平の福住炭坑」赤平にあった小規模の炭坑あちこちのサイトでも掲載されてますがホッパー等残っています注)当ブログを見て事件・事故に遭遇されたとしても一切責任を負いません。また、探索を勧めるものでもありません。何やらホッパーがおでむかえ
http://hikyoutaki.blog.fc2.com/blog-entry-834.html
赤平市の住吉町に、小規模な福住炭鉱跡がひっそりと眠っている。同じ市内にあり、かつて隆盛を極めた豊里炭鉱の下請けのような炭鉱で、坑内堀で採炭だけが行われ、(粗鉱と呼ぶらしい)豊里炭鉱へと運ばれて選炭作業が行われていたようだ。昭和30年代の約10年余りで閉山となり
https://black.ap.teacup.com/isan/500.html
福住炭鉱の操業していた頃の写真と、資料を見つけました。こういう資料が見つかると、また再訪したくなるものです。来春にでも再訪してみようと思います。福住炭鉱は、昭和30年8月22日、採掘権者である豊里鉱業が施業案の認可を得て、11月に本卸坑口を開削し豊里炭鉱のひと
http://yaeijin.fc2web.com/page356.html
日本炭業株式会社福住鉱業所福住炭鉱は日本炭業株式会社(本社東京)の経営で昭和30年豊里鉱の租鉱だったものをかり、開鉱したもので昭和36年11月現在、鉱員216人と租夫40人で採炭、月産1万1千トンから1万4千トンをあげている中小炭鉱であった。日本炭業全山(北海
http://necojiji.blog119.fc2.com/blog-entry-217.html
新入りのα77の試し撮りをかねて赤平市の福住炭鉱跡行ってきました