http://www16.atpages.jp/rayna/Report/shingu04_5/index.html
新宮鉄道には、合わせて5つのトンネルがあり、その内勝浦側の「大狗子トンネル」、「小狗子トンネル」は車道用に拡幅、コンクリート補強工事を受け、 国道42号線のトンネルとして活躍していましたが、新トンネル開通により旧トンネルとなりました。 残りの「袖摺 現在は廃
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中盤戦 残る2本はどこにあるのか。 場所は特定していました。新宮駅と南に位置する三輪崎駅の間には、2本の現役トンネルが存在します。ずばり、そのトンネル達の廃トンネルが存在する、ということです。 目的とするトンネル達へ近付くルートはほぼここ!しかないと思います。 国道42号線から真新しく、しかし途中までしか整備されていない両側に歩道を備えた立派な道路に入ります。その道路整備が途絶える辺りで、生活道路のような細い道が左右に伸びています。明らかにその周辺住民以外利用しないような道、その一方である、南に伸びる方に入ります。南へ300mほど、最早幅は3ナンバーはきついと思える道、民家が途絶える辺りから急坂を下ります。 で、行き着いた先がこのような場所。終点のようですが。。。 左手に看板があります。 見てみましょう。 !なんと熊野古道でした。しかも高野坂という比較的名の知れた場所であるらしく、この広場はそこへ向かう人々が車などを停める場所のようでした。 ここから約1.5km、峠というか坂と呼ばれる箇所を越えて、三輪崎の駅にまで行けるようです。ようは、生活道路と思ってやって来た細い道は熊野参詣道(中辺路)のルートの一部だったのです。いやはや。 その看板の右手には近年整備されたであろう階段があり、左には道標が。 「熊野古道高野坂」これより23丁(約2.5km)と彫られています。整備時に設置されたものと思われます。 この階段の上、木製の柵の向こう側はどうやら紀勢本線のようです。架線が見えます。 ちょっと上には行かず、右手を見てみることに。最初に見えていた建物は、トイレでした。この高野坂は遊歩道並の整備をされているようですね。 その奥は小さな川が流れ、海に注いでいます。その左脇にも通れるように通路が設置してあるようです。 むむ? 川の方に行ってみると、橋梁が2本見えます。奥の橋梁は現役紀勢本線のもののようですが、手前は。。。高野坂に向かう遊歩道橋梁のようですが。。。土台が立派すぎますねえ。遊歩道の桁に合わない橋台の太さ。切石にてがっちり組まれているその姿...、左右の木々に護られる感じで路面幅を残しておりました。 旧御手洗トンネル、新宮側(北側)坑口です。 その姿は袖摺トンネルと同じく立派な造りをしています。が、その周囲があまりに頼りなくないですか??? 右面は石積みの法面があったようですが、左はロクに補強されていないように見受けられます。その影響はご覧の法面の崩れ方でよく分かります。 右側法面は崩落著しいものの、石組みの水路はしっかり残っておりました。 袖摺トンネルよりもはっきり坑門が眺められるので、よく観察してみました。 5層の巻厚迫石に切石の要石、笠石帯石も切石、レンガ組みはイギリス積みと、やはり全く同じ造りです。 よく坑門のみ目立った崩落もなく残っているものです。 少し上からの視点。。。表はしっかりしているように見えましたが、笠石辺りが怪しいですな。。。 怪しい傾きをしていた一番端っこの笠石を見てみると。。。(カーソルを写真に合わせて見てください。) 太い木の根がレンガや笠石まで押し退けて生えてきています。 人間が自然を切り拓いて造った人工物もいつかは自然に戻される、その過程をまざまざと見せ付けられます。 それでは内部に入ってみました。 7段の切石を積み、その上からはレンガアーチという構成です。 かなり見通しが良く、反対側の光も見えています。ただ、路面はかなり水浸しです。 その坑口前は瓦礫が多く散乱し、水溜りも多い状況であるものの、その先、路面はかなり先まで見通すことができます。両側の木々が日光を遮り、低地植物の繁茂を抑えているからでしょうか。 。。。良い光景です。。。 低い位置からのショット。白化が進んだレンガアーチではあるものの、サイドの切石とともに、揺るぎのない印象を受けます。 退避口の造りも袖摺トンネルと同じです。2重の欠円アーチの白化がひどいですが。。。 北側入り口が特に水浸しでした。 少し入ると砂利(バラス?)で多少は歩きやすくなります。 しかしその安心感も束の間、だんだん水溜りの割合が南へ向かうごとに増えていきます。。。 。。。しかも、南側の坑口の様子がおかしくないですか??? 北口とはあまりにかけ離れたその南口の姿に衝撃! 果たしてその姿とは??? 以降後半戦へ!